将来のことを考えてと言われてみても、選ぶのは自分でいたいから

将来のことを考えて結婚するように言う人もいるけれど、現時点で幸せなのに「他人の世話」「文句」「生活観のあわなさ」と格闘する必要がまったくわからない。

子どもは可愛いっていうし、そうなんだけど、その代わりのものがあるからなあ。子どもがいても、子どもの代わりに人生は生きられないって苦しみでもあるしあんしんすることでもある。他人だ。

自分のことを考えなくなるにはぐあいがよさそうだけど、わたしはまだ自分のことを知りたいし、生活も充実してみたい。
働き始めて日が浅いからお金が儲かることによって得られる誰にも気兼ねしない自由の味をせっかく知ったのに「将来」のために「我慢」しないといけないのって、つらいなあ。しかも、将来に続く今って、何十年もつづくし。

五十代の人が、ぶらぶらして食べられるなら誰だってそうしたいさ、できないから、尊敬される地位なんて持ち出して満足だみたいにしているけど、虚しさを抱えているものさ、と言う。

二番目のおかあさんは介護する人数が少ないことと持病がないことが幸せな年代もあるのよ、という。

わたしはせいぜい孤独死しないように、趣味を充実させれば良いかなと思う。
同人誌のつながりもあるし、いろいろ楽しみはある。革細工もとってあるし、音楽も聴ける。映画も見る能力がある。
お金もあるし。もうけるのは楽しい。
暇だともうけ方を考える時間が出来るから、正社員のときより、起業が身軽だ。
これだって、将来のことを考えていたら、できなかったもんな。
将来のことを考えていたら、お金儲けも出来なかった。定額制でこき使われているだけで。
今は好きなときに休めるし、繁忙期は辛いけどおかねになるし。
働くことを通して気の合う人だけと仲良く慣れるのも良いし、お客さんも良い人が多くて事情をくんでくれる。
ああ、幸せ。

将来のためと言うなら貯金でもするかな。それくらいだ。
子どもが自分の将来の保障になるなんて考える人間にもなりたくないし。
せいぜい市役所やヘルパーさんとのつながりを大事にしよ。

今日はお風呂も入って、ふくらはぎに湿布も貼った。
肩も凝っているし頭も痛いし目も痛いけど、明日になったら良いことがある。
将来なんてどうにかなるし、計画していたってその通りにはならないんだから、確かなことは今を楽しむことだ。
それだけのことだ。
わたしは今は結婚したくないし、子どもも欲しくないって本来の気持ちに気づいたことが最大の喜び。
これからまた新しいことを見つけるんだろうな。苦痛とともに。
苦痛はいつでもあるけれど、好きで選んだ苦痛の方が納得する。
将来のことを考えるより今のことを考えていたい。その延長に未来がある。好きなよう、自由に生きて、生きることの楽しさを学びたい。苦痛を感じるのは自分なので、せめて、その償いは自分でしたい。選びたい。自分でいつでも選びたいから。
他人に何かを任せたくない。心が狭かろうとなんだろうと。
好きなことをして生きていると、同じ量の苦痛はあるけれど、まだ、生きていたいと思いやすいな。なんで、このことに気がつけたんだろう。
長い間さまよったことも無駄じゃない、ってことだと、悔しいけど。しゃくにさわる。
苦痛は苦痛でいてほしいよ。学ぶ機会であってほしくなんかないけど。
わたしはわたし。
自分でいたい。

c71の著書

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