効率の良い人間は苦しい。
- 作者: 上田紀行
- 出版社/メーカー: 岩波書店
- 発売日: 2005/01/20
- メディア: 新書
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なぜかというと、もっと優秀にならなくては、もっと強くならなくては、と思っていたら、いつまでたっても「まだ優秀ではない、他の人に比べたら」となるので、ずっと居場所がない。他人にも居場所を用意しない。強いものだけに居場所を用意するとなったら、自分以外の強い人に尽くすだけの人生になる。
ポジティブになろう、良いことだけ見よう、というのは、一見正しそうだけど、人生にはつらいこともあるし、楽しいこともある。
つらいことは気持ちが悪いことで、楽しいことは気持ちのよいことだ。
それは、自分が感じることなのだけど、ネガティブな方だけ、ストップをかけようとしても結局自分の感じ方をコントロールしていることには違いないので、楽しいことに関しても、つらいことに関しても、自分の感受性にストップをかけたり、これは感じてはいけないことだと思ってしまう原因になる。
そのことが怖いのは自分の不快感の発する「警報」に気づかなくなって、自分が否定されたり、傷つけられたりして、どんどん痛みに鈍くなってしまうことだ。痛みに鈍くなると、傷つけられることにも鈍くなって、逃げ出すことができなくなる。
それを自由意志で逃げないと言う人もいるけれども、わたしは違うと言いたい。
逃げ出せないほど痛みに鈍くする方法で虐待する人はいる。そうしたら、痛みを感じないから逃げないけれども傷つきすぎてぼろぼろになる人が出来上がる。その人が逃げて回復する途中で、悲嘆にくれたり、呪詛をこぼしたとき、「自分の意思で逃げなかったんでしょ?」という人は最低だと思う。
乗り越えたり、強くなったりして、ネガティブなことを乗り越えようとしている人は、すでに痛みに鈍感になるくらい傷つけられているんだと思う。楽しい状態でも、さらに強くなったり乗り越えたりすることは労力をたくさん使うのに、ただでさえ、不愉快な状況になって、力が失われたときに、通常のときに出している力以上のことを求める人はおかしい。
だから、つらいときは、「乗り越えよう」と思うんじゃなくて、ただ、「つらいなあ」と思っていれば良いと思う。
生徒さんに「いつも失敗したら、反省してるし、生徒さんがやめるときにはいろいろ考えてしまうの」と言ったら、
「先生が一生この仕事を続けていくんだったら、そんなことをしていたらぼろぼろになってしまいます。
だから、まあいいやくらいで考えてください。わたしが満期でやめるときも、やりきったな、って思ってほしいです」
と言ってもらった。