相づちをうつ技術

人の話を聞くだけで暮らしているわたしのことをどうかと思う人もいるかもしれない。
だから、書こうと思うのだけど、人の話を聞いて、適切に相づちを打つのは簡単ではない。

人は誰でも話を聞いてもらいたがっているのだから、質問したらいいんでしょ?と思っている人もいる。
だけど、変な質問をして、プライバシーにずかずか入って、相手を疲れさせておいて、「こんなに人に話せないようなことを聞き出せたのだから、良い聞き手だったわたし」と悦に入る人もいる。
無理矢理聞いてもダメだ。

自分の思うように誘導して答えを導きだそうとして聞くのも良くない。
自分はこう思うのだけど、というのをさておいて、相手の思うことを聞き出さないといけない。
たとえば、この前わたしは「前向きに頑張らないといけない」と思う生徒の話を「違う」と思ったけどそのあとどういう風に話が続くのか全く想像しないまま、生徒の言葉を整理していった。そうしたら「悲しいこと、つらいことを感じないようにコントロールしている。だから、人とうわべだけで付き合っているようでつらい」というところにたどり着いた。
そして、そのことは解決しなかったけれど、わたしと話を整理する経験はその人にとってよかったようだった。

その話についても、当たり障りのない話題から入っていったのだ。
当たり障りのない質問をして、自分の感じたことを話す、ということを繰り返すと、人は自分で自分の持っていた答えを発見するようだ。
それは、時間がかかるし、神経も使うし、労力も使う仕事だ。

人の話を最後まできちんと聞いて、裁かないで、うなづくというのは、けっこう大変だ。
それで、わたしはそのことでお金をもらって、生活している。
それは間違っている、と思う人がいても、やっぱり仕方がないけれど、人に話を聞いてもらうことがけっこう難しいと言う経験を通して、わたしはそれが悪いことだと思わない。良いことだと思う。

c71の著書

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