決断はある日突然するのではなく、日々の生活においての、小さな選択が、その状況を作り出し、決断せよ、と迫ってくるのだ。
だから、決断するような状況の時点で、ほとんど答えが出ていることがほとんどなのだ。
たとえば、受験で合格したいのに、毎日の勉強をしない。ということは、その人は、受験に合格しない、ということを毎日選んでいて、そして、ある日、受験する学校を変えるか、という決断を迫られるわけで、その決断には考慮の余地がない。
ただ、受け入れることしか出来ない。
そういう風に、自分の未来を、いつも、人は選んでいる。
だけど、その小さな選択が、どういう風に人生において作用してくるのか、あらかじめ知っている人はいない。
年長者は、先回りして口出しをしたがるけれど、それは、良いときもあるし悪いときもある。
タイミング次第。
どうして、こうなったんだろう?と嘆くとき、それは、それまでの選択があったからなのだ。
だからといって、嘆くなというわけじゃなく、わたし自身も含めて、存分に嘆いて、人生の醍醐味を味わいたいところ。
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