知り合いを裁くことは難しい。
善良でいてほしいというイメージが先行するからだ。
彼への批判を見て、なるほどと思うところはたくさんあった。
そこは知り合いだから、より、慎重になるべきだった。
わたしは男性が嫌いなくせに、男性が懺悔し始めると、手放しで礼賛してしまう。
そういう癖がある。
なぜならば、反省しない男性を見続けていて、だから、少しのことでもものすごく嬉しいと感じてしまうからだ。
彼の間違っているところはいくつかあった。
わたしはそれを個人的に指摘すべきだった。
わたしは自分が気づかずしてきた加害がブラックボックスで、それがとても恐ろしいのだ。
だから、自他の区別がついていないためか、自分の加害性に言及した[男性]を見て、感動してしまった。
男性が自分を省みるなんて、と思った。
わたしは男性を信じていないのに、期待している。
だから、とてもうれしくなった。
また、個人的にブログを叩かれていた時期だから、叩かれるようなことを書くことに対する勇気のようなものにも憧れた。
だから、飛び付いて、誉めた。
わたしはひよりみなのかもしれない。
その後、あのエントリの批判を見て、なるほどと思った。自分の軽率が恥ずかしくなった。
彼の告白の影の被害者が見えてなかった。
彼は加害を外に出しているのだから。
すでに加害を外に出した人々は、どう変われば良いのだろう。
わたしは彼らに変わってほしい。
だから、そのことを知りたい。
わたしは自分の軽率を理解した。
でもその一方で加害者のことを知りたい欲望がある。
それを押さえるべきなのかもまだわからない。
わたしは気がつかなかった。
とても恥ずかしい。
広告