労働の適正価格

労働の適正価格ってほんとはあいまいなものだ。
きちんと根拠があって決まってるわけじゃない。

だけど、会社勤めの人は何となく自分の時間に値段が付くのが当たり前だと思っているような気がするし、会社員じゃない人が自分の労働に値段をつけることに対して嫌悪感を持っている場合があると感じる。

わたしはたとえば、商売を始めるにあたって、看板を出した。
適正だと思う人はわたしの労働を買えばいいと思うし、そうじゃなければ買わないだろう。
脅迫をして買わせるわけでもない。

でも、気に入らない人はいるんだよね。

ライティングの仕事も一文字0.5円から5円まで様々だし、それも内容によってリサーチが必要だったら、時間で直したら、話の早いクライアントさんのほうが文字数は多いけど労働としては楽だとかもある。

塾の仕事はそうとう時給がいいけれど、いっぱい仕事を入れられるわけじゃないから、ひとつひとつの単価が高くても、生活費としてはそれほど多くない。

塾の仕事も黙っている時間もあれば説明してる時間もある。どちらも均一に値段が付く。

会社員の人は、自分の時間に値段が付くことに対して、自分が値段をつけることに対してシビアじゃないし、そもそも考えたこともないと思う場面がある。

ブログをやっていてもちろん好きで書いているけれど、同じように商売も好きな時に始める。
どちらもわたしにかわりがない。

嫌いになるのはかまわないけれど、ちょっと意味が分からないなあと思う。

意味が分かるけど、わかりたくないな、という感じに近いというか。
値段をつけるのはいつも自分だし、それも勝手につけるのだから、周りの目はもともと気にしても仕方がない。
値段をつけるっていうのはそういうことだ。
買い手が気に入れば買うしそうじゃない人は買わない。
関係ない人はずっと関係がないんだろうけど、関係ないなりに何か感想を持つのだなと思った。

c71の著書

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