障碍者年金を受けていない理由は、主治医が反対したからだ。
自分で働けるか試してからでも遅くないとのこと。
どうしてかというと、「障碍者年金を受給すると、それがなくなることを恐れて働くことを躊躇してしまうようになるから」ということだ。
なんだか、さっぱりわからなかったけれど、あとがないので、ひたすらに働いた。少しずつ収入は増えていった。
わたしは、主治医から見ると、今はダメでも少しずつ回復していって、働けるようになる可能性を秘めていたそうだ。
それは、結局のところあたって、お金がなくて苦しいときもあったけれど、今はまあまあ暮らせるようになった。
障碍者年金は本当に必要なのか、というと、わたしの場合は必要なさそうだった。でも、あのときには、未来のことがわからなかった。
安易に障碍者年金を進めないと言われてがっかりした。
偏見があるのではないのかと思った。
とくに「本当に必要な人が受けるべき」と言われたときには頭に来た。
わたしだって必要なんだよと。
でも、誰に言われたわけでもなく、敬愛する人に言われたのだから、なんとか飲み込んだ。
同じ言葉でも他の人に言われたら聞かなかっただろうが、なにしろ、敬愛する先生の言うことなのである。
わたしは、ある程度、信頼している人の言うことは真に受けることにしている。
信頼していない人の言うことは聞かないようにしている。
信頼していない人からは、わたしが誰の言葉にも耳を貸さない、仲間内の言葉しか耳を貸さないように見えるかもしれないが、それは、信頼関係がないからだ。信頼関係がある人の言うことは聞くのだ。
それは、わたし以外の人も無意識にしていることだと思うので、そう悪い事じゃない。
そうしないと、パンクしてしまう。混乱が大きすぎる。
少しスパルタだったけれど、思い切って、働いてよかった。
具合が悪いなりに、コントロールしながら働いている。
仕事をしているとき以外は寝ているけど。
でも、それなりに折り合いをつけて働けている。
栄養状態が良くなってから、メンタルも落ち着いてきた。
昔はもっと無軌道だったし、今でも不安定だけど、さらに不安定だった。
栄養状態が悪いと具合も悪くなる。
薬を管理することも難しい精神状態だった。
今は薬をちゃんと飲めているし、仕事も行けているから、先生の判断は私の場合にはあっていた。
障碍者年金をもらうことを否定しているわけじゃないし、もらえるものならもらいたいけど、先生の目論見は正しかったなと思う。