息をひそめてそっと

文学フリマエー62に出ます。

十六日からアクセス制限をしていました。
文学フリマに出るまで一時外します。

今日は病院に行って、肌の調子が良くなったと言われてうれしかった。
化粧しているの?って薬局でもお医者さんにも聞かれた。
化粧しているみたいに、目がはっきりしてみえるって言われた。
肌も健康そうだって。

心無い人の言うことを気にしてしまうしその間はどうしても気持ちがそっちに向かって、書くものも、揺れてしまう。

傷つくことも、悲しいことも、自分で大事にしたい、自分の気持ちを守りたいと思って、アクセス制限をかけた。

いろいろ、もう、ずっしり疲れてしまった。

誰のためでもなく自分のために書いていて、それを他の人のたまたま分け合ってくれたらラッキーだなと思っていたけれど、思ってもみない方法で消費されたことに疲れて、むなしい、やりきれない気持ちになった。

何を言っても上げ足を取られるんだなと思った。
こんな、ただのブログなのに、何か強い、権力のあるもののように、言われるのは不思議だった。
わたしがおかしい、変、ってのは、現実でさんざん言われていて、そして一周回ってもう言われなくなったことだから、それを今更ネットで言われてもなと思った。

匿名で、人の悪口を、汚い言葉を使って、掲示板で書く人って、けっこう荒んでいて救われない話だと思った。その毒気に引き寄せされてしまったことも正直なところだった。

汚い言葉はあまり普段目にしないし、耳にしないので本当に驚いた。こういう世界もあるんだって。何も生み出さない、時間を消費していく作業にかかわる人がいるんだなって驚いた。それで研究したくなった。わかりたかったけれど、やっぱりわからなかった。

許すつもりもない。一方的に、気分の悪いことを書かれるのは嫌だ。でも、わかりたかった。
それは、以前加害者のことをわかろうとすることや近づくことを辞めようと思ったことと違っていたけれど、わたしにもしわからないことがあって、ダメなところがあるのならば、相手の気持ちを考えてみることはしてみたいと思った。

わたしは、人の気持ちがわからないから、普段から、とりあえず予想外の反応があったら、考えてみる癖がついている。じゃないと世間に溶け込めないから。今も溶け込めているかというと分からないけれど働いているから、まあまあかなと思う。

自分に優しくしたほうがいいと方々で言われて、この件は考えなくてもいいのかもしれないと思った。
でも、みんな優しくて、考えることを無理にやめたほうがいいとは誰も言わなかった。
だから、じっくり考えることができた。

わたしは自分のために文章を書いて、気持ちを発散して、整理する。自己表現というものが、なにか、特別だと思っている人もいて、「これ見よがしに」「自慢げに」していると解釈する人もいるから、それについてお前はそれほどでもないと言いたくなる人もいるんだろう。突きつけたくなるというか。わたしは何も自慢していないし、ただ、考えたことや新しく知ったこと、自己表現をしていることが楽しくてしている。
そのことと自慢とが区別できない人や、自慢が悪いことだと思っている人もいるんだなと思った。

文学フリマでは、「紺」という小説の本を売ります。
DVに遭った女性が自立していく小説です。
「頭蓋骨を割られたんだよと彼女は」
「ブルー・ビーナス・ブルー」
「柔らかくつたのつるは伸びて」の三篇と、
「夜には星をつかんで」(エッセイ)を書きました。

以前アップしたエントリと題名が似てますが、内容は全然違います。
あと、本、ばずったエントリを再録していると思われていたことが発覚しましたが、今までの分も全部書き下ろしです基本は。

そして、今までの本は全部売り切りで、再販したことがありませんでした。
今度要望があれば、再録して再販するのもいいかな……と思いました。
まとまったの、現物、自分でも持っていないんですよね……。

文学フリマが終わったら、またアクセス制限するかもです。
パスワードが気になる人は個別に聞いてください。

c71の著書

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