文学フリマと傷のあるわたし

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宮沢楽さんと一緒に出ます。
よろしくー。

傷について考えている。
風合いだということで、わたしの中で決着はついているのだけれど。何を失ったわけでもない。ただ、年を取れば変化する。
生きるってことは変化だから。

若い子供を見ると美しいと思う。だけれど、毅然としていたり、優しかったりする中年以降の女性の美しさもあると思う。
わたしはそれを感じる。妖精のように軽やかな女性も、ひょうきんな女性も、ゆったりした女性も素敵だ。
若さというのは多様性が見いだされにくい年ごろで、そのことに窮屈さを覚えていたり、小さな差異を気にしていたりする。

わたしは気にしなくなっていたけれど、面と向かって言われるとやっぱり傷つく。他の人から見るとこうなのかと思って。でも、無遠慮に人の個人的な問題に、しかも、体の問題に平気で踏み込んでいる人は何か異常だと思う。少なくとも洗練されていない。

傷って、美しいとか美しくないとかじゃなくて、ただあるもの。
わたしにはきずがいっぱいある。消すことも考えたけれど時間と費用が掛かりすぎるし、そもそも苦痛をまた新たに感じるわけなので今のところは保留。もっと余裕が出て、医療が変わったらしてもいいかもしれない。

自分の気に入る外見に自分を変えるのにも肯定的だ。傷を好きになるのもなれなくて、変えることもどっちもいいと思う。
一番いけないのは我慢すること。我慢は時間を無駄にする。

わたしは矛盾しながら文章を書きたい。わたしは矛盾した人間だ。
でも、生きているし働いている。整合性がなくても大丈夫だと訴えていたい。誰にかというと、同じような孤独な魂を抱えた誰かに向かって、少しでも心の支えになれたらいいと思うのだ。
そうじゃない人は仕方がない、アンラッキーだと思ってほしい。

c71の著書

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