交尾をするのならば合意を取りましょう

交尾がしたかったら、合意をとるのが当たり前だ。重要なことだから。
それを怠ってはいけない。力の強いほうは特に。

脅したり、追い詰めたりしてからとる合意は合意じゃない。わたしは合意っぽい合意を取らされて嫌な思いをしたことがたくさんある。少しずつでも減らしていきたい。

わたしにはシミがあるし、傷もある。
汚いと思う人もいるだろう。
でも、それはわたしが悪いことをしたからじゃない。
わたしを見て汚いと思う人は、汚いと思うことに問題を抱えている。

わたしは自分の外見が好きなところもあるし、嫌いなところもある。
なるべく好きでいたいから、髪を手触り良くしているし、肌もなるべくできる範囲で手触り良くする。病気だから、うまくコントロールできない。薬を二種類飲んで、ステロイドも保湿剤も使っている。因子も排除している。これ以上のことはできない。あとは栄養の問題かな。
でも、できることは、できる範囲でしている。そして、他人にあれこれ言われる筋合いはない。

わたしは、わたしのことを好きな人から見たら美しい。わたしを嫌いな人が見れば醜い。そういうことだと思う。

わたしは、わたしを醜い、と言葉にする人に対して、合意していない。わたしのことだから、わたしが決めていいことだ。それでも言いたい人はわたしの意向を無視していっていることになる。それも世の中では許される。わたしは許さない。許さないからと言って何もできないが、許さないことはできる。それがわたしの正義だ。

交尾をするなら、審査をするなら、相手の合意を取りましょう、というのは基本だと思う。
合意なきところに行為なし。
それが文明というもの。
情緒は工夫次第で生まれる。文化は、どんなときにも花開く。
合意がないときのほうが情緒があると思うのなら、それは、間違った文化だ。
誰かを犠牲にしている。誰かを犠牲にして存続する文化を愛でる人は、犠牲者の涙を知らない。

合意を取った中での、情緒は必ずある。それをまだ知らないだけ。
熟成されたらいい味になる。未踏の地を歩もう。

c71の著書

スポンサーリンク
広告

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です

このサイトはスパムを低減するために Akismet を使っています。コメントデータの処理方法の詳細はこちらをご覧ください