自閉症なのかなって思う時

自閉症なのかなって思う時があって、文字のやり取りならいいんだけど顔文字の意味が認識できないことがある。

そして、たぶん、自閉症だから大変なこともあるんだけど、自閉症だから楽しいこともたくさんあって、たとえば、皮膚感覚が鋭いから大変なことも多いんだけど、ヘナで染めるのが楽しいと思えるとか、クレイパックしているときすごく楽しいのって自閉症だからってのもあると思うんだ。
解放されるというか。
童心というとおかしいけど、身体的な感覚がすごく大切だなーと思う。
皮膚で感じるものが大切だから、合わないものがすごく苦痛だけど合うものに合うと、とても嬉しい。

人の表情も読むの下手だし、言葉を言うのも直接過ぎるし、だけど、だから面白いっていうか、人とじっくり話すのが一生懸命で、一切逃さないようにする。神経を使うし、その場ではわからないから反芻して後からよく考える。とても疲れるんだけど、その価値がある人と話したいし、気の合う人はそういうことをしたいって思う。
だから、わたしは興味のある人を減らしたいけど、興味のある人は大切にしたい。これは矛盾していなくて、好きだと思う人は大事にして、でも離れる時には手放したいってことだし、わたしのことを嫌いな人がいたとして、その人のことを知りたいと思うことをやめたい。

わたしはどうしても自分が悪いから相手のことがわからず、いつの間にか失礼なことをしていると思ってしまうけれど、結局わからないし、無意識にしてしまうことは直せないから、わたしを嫌だと思う人のことは尊重して、離れるならこちらからも近寄らないようにすることがとても安全だと思う。
無意識のことは直せないから。

わたしは無神経だし、ずけずけものを言ってしまう、だけど、それをしかたがないと受け入れたい。
直らないから。直そうとするとすごくストレスが溜まって結局何もできなくなる。

だから、周りにあきらめてもらうことが一番手っ取り早い。そして、わたしといてストレスを感じる人は、わたしを変えるより離れてもらったほうがたぶんお互いにとっていいと思う。

人の顔色が読めない、言葉がわかりにくい、っていうのは、言葉と顔が裏腹な時がわからないということとかあるんだけど、だからといって、行動を誰かに制限されたくもないというか。

そして、自閉症だから何もかもだめだということじゃなくて、定型の人と違う楽しみがあったりもするから、そういうのを大事にしていたら健康を保てると思う。

その楽しみをなるべく自分で尊重するってこと、それでいいんだよ、ってことを常に自分で言いたい。

c71の著書

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