健康な人は倒れるまで働こうとするが、体を壊しても休めば治ると思っている。
治らない。
薄紙をはがすようにして、何年もかかって、動けるようになるけれど、元の身体には戻らない。
わたしは、いろいろなことを失って、回復した。回復したが、元には戻らない。そもそも、病気の間の時間は二度と戻らない。健康で過ごせたはずの時間は。
戻ったように見えても、元の健康じゃない。不安定だ。だから、メンテナンスがいる。こまごまとバランスをとる。それは健康な人にはわからない。健康な人は、薬を飲んで、眠って、食べたら治ると思っている。でも、病気は、眠ることも食べることもできなくする。だから、治らなくなる。
健康を害すと、「ゆっくり休んでね」と言われるけれど、ゆっくりは休めない。痛み、苦しみと戦う日々だ。休んでいるように見えても、休んではいない。のんびりはしていない。内心はとても忙しい。見えないだけだ。それが健康な人の残酷だ。
だが、老いは平等にやってくるので、健康な人もその残酷を味わうことになる。ただ、自分自身が残酷だったことは覚えていない。だから、不平不満を平気で言う。
病気になったら、もう治らない。そのことを受け入れてから始まる人生がある。
治らないなりに、少しずつ持ち上げていって、ちょっとした隙に人生を楽しむのだ。
そうやって、少しずつ回復する。回復のためには、家族も、友達も犠牲にする。
自分のことを何よりも優先する。そうするしかない。
なぜならば、人生は一度だからだ。
わたしは幸せになるために生まれてきた。幸せを求めるために生きている。
誰かの犠牲になることは許さない。
だから、自分を優先する。そうすることで、ようやく、ほんの少し、人生を取り戻せる。スタート地点には立てない。
広告