今日は十時間教えていたので仮定法が完璧になったぞ。
これで、英語もだいぶ教えられるようになってきた。できるとうれしいし楽しい。
それで、最近思うのは、結婚したことを「すごいこと」のように語って、「何かを証明できる」と思っている人がいるんじゃないかということだ。
そういう人は結婚「できる」って言い方をする。結婚できる人は、て。
でも、わたしが知っている限り、結婚したくずもいるし、結婚した素晴らしい人もいるし、結婚しないくずもいるし、結婚しない素晴らしい人もいるし、その他の人もいるだろうと思う。
不思議だったのは、「それじゃ結婚できないよ」という人のことだ。
最近、そういう人たちは、「結婚できるイコールすごい」「だから自分はすごい」という方程式があって、だから、それを人質にとって、人を結婚しているしてないで分けて、自分をすごい側にする担保にしているんだと思う。
だからこそ、結婚していない人を常に否定してないとやってられないというか。
でも、それはそれで幸せだと思うんだけどね。一つの点でこだわれたら、他のこときにならなくなるもの。
結婚してない人を見ている間は、自分は少なくとも結婚しているし、って思えるからね。
でも、それは結婚していない人がいないと感じられない幸せなんだよね。
それって、自立してない幸せだから、ぐらぐらしてしまう。
これさえよくなればと思い詰めるけれど、問題の本質はだいたいそういうことじゃない。
不平不満、たとえば、不細工だからモテないと思っている人とか、いるとしたら、不細工が解決されたらモテるのか、人柄は素晴らしいのかなどそういうことから、目を背けられるからね。
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