差別しているわたしがそこにいた

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この二つのエントリを見て、わたしは差別していたのだとわかった。
あれから、わたしはこのことについて、考えが止まっていた。
考えたくない、見たくないことがあった。
それは、マサキさんのエントリを見てわかった。

わたしは、椎名さんの書いていることがあまり理解できなかった。

わたしの差別している心、言葉、その影響を見たくなかった。

わたしは正解を知りたかった。

わたしは自分のこととして、セックスワークを考えたかった。だから、そうしていた。そして、その延長に、人のことを決めつけて文章を書いた。そうやって、人を踏みにじった。その事実を、理解できないで、また間違った。

わたしはセックスワークを何か間違ったことだと、やっぱり思っていた。それが明らかになった。むしろ、そういう思い込みをなくしたい、努力したいと思っていた。
味方になりたい、理解したい、自分のこととして考えたい、そう思っていたのに。

セックスワーカーは、選択をした、と思っていたのも、思い込みだった。選択の結果、セックスワークをしたのだと。
そして、それを生業のしたのだと。

セックスワーカーは間違った選択をしている、それは訂正できるはずだ、と思い込んでいたのは差別だった。

思い込んでいる自覚がなかった。職業は自由だから、と書いていた。でも、心の奥の奥はそうじゃなかった。
自分でもそんな風に思っているとは、知らなかったけれど、書いたものへの反応で、それを教えてもらった。
それは認めがたい事だった。恐ろしくて、勇気が出なかった。認めることの。

わたしはわからなかった。椎名さんの文章を読んでも、やっぱり、その意味することがわからなかった。わからないということがわからなかったし、行き止まりになった。

自分を納得させるために考えていたのだろうか。
わたしは正解を教えてほしくなった。どうか、もう、わたしを間違えさせないでくれと。

でも、わたしには正解がなかった。どこにも正解はない。わたしの中のどこにも。わたしの中にあったのは差別だった。椎名さんのおっしゃることが、わかり切っていない、理解しきっていないから、どうしたらいいのかもわからない。理解したいと思っても、やっぱりわからない。

ただ、マサキさんのエントリで「語りを強要すること」「語りをあるものだと決めつけること」「その内容を決めつけたこと」がわたしのしたことだったのだと、少しだけ分かった。わたしの経験に置き換えてみると、……相変わらずそうすることしかできないけれど、あるトラブルに巻き込まれたときに、自分からそこに飛び込んだことを、「どうして」「どうして」と聞かれて困惑したことを思い出した。
わたしには理由が何もなかった。だから、相手の納得するような理由をひねり出して、苦し紛れに答えた。わたしは聞かれたくなかったなと思った。そして、他の人がさらに他の人に説明するのを聞いて、誰の話か分からなくなったことも今思い出した。

それは、必要な手続きだと思っていたけれど、そうじゃなかったのかもしれない。

わたしはなんのために、考えていたのだろう。わたしのため、わたしのこととして、自分の含まれている世界の、一つのこと、として考えたかった。

人のことを決めつけた。当たり前みたいに無意識に。無意識にしたこと、それがわたしの差別だ、とわかって、なんだか怖くなった。
怖くて、考えられなくなった。

わたしの差別が浮き彫りになった。加害者としてのわたしがいた。それを知って、わたしはなんだか怖くなった。
怖くなって、よく考えもせずに、またエントリを書いて、同じ過ちを繰り返して、そして、消した。
わかっていなかったから。わかっていない中で、わかろうとして書いたから、だから、同じ間違いをした。

わたしはわからない、わかってない、差別している、というところを出発にするべきなんだ。
寄り添いたい、そう思っていたけれど、わたしは自分の中にある差別、それに向き合わないといけないのだ。
人のことを理解することも大事だけれど、同時に、わたしは自分が差別の加害者であることを、見ないといけなかった。

自分が差別の加害者であることを理解して、知って、こうして文章を書くまでには、無の時間が必要だった。もう黙ったほうがいい、恥ずかしい、恐ろしい、思考停止したいと思った。向き合い方がわからなくなった。でも、それは、あのエントリを書く前と今と変わらないことだった。

わたしには言葉がない。
言葉がないのが当たり前だ。他者なのだから。
わたしは他者を尊重したい。なぜなら、それが当たり前だと思うからだ。

でも、今は言葉がない。わたしは差別をしていて、それをやめたい。差別のない世の中を目指すのなら、わたしは差別を認めて、差別している自分を知っていきたい。
加害者が文章を書くことは、良くない面がある。
わたしが文章を書くことで、より人を傷つけることもある。それは知っている。
それでも、わたしのような人は他にもいるだろう。そして、わたしの考えの軌跡を通して、わたしのような愚かな轍を踏まずにいられる人がいるなら、いいのにと思う。

わたしの懺悔は、なんの役にも立たないけれど、わたしはやっと、差別している自分を発見するところに立った。

それは、恐ろしく、はずかしく、困惑することだけれど、わたしはせめてその勇気を持ちたい。
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