家の中の性差別・暴力

「妊娠出産のために仕事をやめ、知り合いが一人もいない場所に引っ越し。家事をしてほしいと夫に頼んだら、自分と同じだけ稼げるのかと言われた。捨ててきたのは、自分の世界のすべてだった。その痛みを愛する人にもわかってもらえない苦しみ」というのは、定期的にツイッターでよく見る。

家の中での差別構造について、ここで書いたが、「女性の賃金は安い。だから、仕事を辞めさせる。そして、家事をさせ、逃げられない状況で、夫が妻にモラハラをする」というループが生じる。

女の賃金が安いのは、「夫が外で稼ぐのだから女性は補助的な賃金で構わない」という社会通念、社会的慣習のためだ。

しかし昔から、単身者の女性はたくさんいた。単身の女性であっても、リストラの時に「彼には家庭があるから」といって、首を切られてきた。

彼女にも生活があったのに、彼女の生活は、「どうでもいいもの」として、扱われてきた。

裁判の時に、社会通念、社会的慣習は、法律の次に重い根拠となる。

社会的通念のために、生活が苦しいのに、社会的通念にそれを正当化される状況だ。

秩序を乱すことを嫌う人が多いが、秩序が人を苦しめているとき、その秩序は壊すべきだ。それを公民権運動という。フェミニズムは、公民権運動の一つなのだ。

「賃金が安いから、家事労働を長時間しろ」と夫が言い、「家庭労働を長時間するのだから、賃金を安くする」と社会が言う。

その中で、女性は一人で生きることが難しかった。社会運動をするにしても、社会運動でさえ、補助的な役割を強いられ、また、運動体でも性暴力に遭った。声をあげようとしても「社会運動をつぶす気か」と恫喝される。

社会運動からも排除され、社会のメインにもなれないできたのが女である。

経済的に圧迫されると、「モノを言うこと」すら、難しい。

家庭内の「誰に食わせてもらっているのだ」に象徴されるモラルハラスメントは、社会における女性差別を利用している。利用して、それを強化している。

前述した「モラハラ」は、女性蔑視を基にした、女性差別の再生産なのだ。

女性が一人で生きることが難しい状況、女性が子供を産みたいと願えば、結婚し、仕事をあきらめざるを得ない状況を利用することで、1人の人間を苛め抜くことができる。それは、男の万能感を満たす。

「女をモノにする」という言葉は「女を物にする」という意味だと、最近思い知った。物にすることで、男は「個」を承認されたと思う。何に承認されたかはわからないまま、彼らは承認欲求を満たし、満足する。彼らは深く考えない。

彼らは彼らの内なる社会に「男は女をモノにすることで一人前になる」という基準を持っている。一人の人間を自分の一存で生死を握れる。それを常に確認する行為が、「モラルハラスメント」として現れる。

そして彼らはどんどん狂暴になっていく。

自分を満たすためには、前よりももっとひどいことをしても、女が自分についてくるということを確認するしかないからだ。だから、すべてのハラスメントは激化する。

男が男であることを示すたった一つの根拠は、股の間にぶら下がっている一つの臓器である。医学的にも社会的にも、股の間にぶら下がっている臓器があるかどうかで、彼が男性かそうじゃないかを判断する。男性器というのは社会的なシンボルなのだ。

その臓器が彼らの力の源である。彼らが「男である」ただそれだけのことで、支配する側になる。だから、彼らは股の間のものを使いたがる。努力に応じて、女をモノにして使うことができなければ、彼らは女を恨みにくしむ。彼らは、女を報酬として受け取ることを権利だと思っている。

だから、彼らは女にどんなこともできる。

 

参考

あのね〜〜〜〜〜〜〜!!!!!

女っていうのはね!!!!!

男のためのステータスとか!!!!!

賞品とかじゃね〜〜〜〜〜んだわ!!!!

努力に応じて与えられるべき報酬として女を見るのはええかげんにせぇ!!!!!

こちとら人格があるんじゃ!!!!!

どんだけその股座の棒と玉に支配されとんねん!!!!!!

c71の著書

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