今が人生の折り返し地点だ。
わたしの子供ころ、大人だった人が、どんどんいなくなっている。
わたしがこれから、安定して暮らせるのは多く見積もって、あと二十年くらいだろう。そのあとは、自分の体力や健康の心配も増えて、友達の数が減っていく。
そうしたら、すごく寂しいだろうと思う。
十代は苦しくて、二十代はその清算に費やして、三十代でようやく自分の人生を生きられた気がする。
三十代は、自分のみかたを増やす時期だったと思う。
わたしは、親と疎遠だが、疎遠でなくても、親はいつか死ぬので、元気な三十代、四十代のうちに、親以外との頼れる人を作るべきだった。同世代だと二十年先、困るので、自分より年下の世代とも交流を持ってないといけない。
交流を保つためには、じぶんから率先して、年下の世代と話が合うように、情報を収集して、価値観もアップデートする必要がある。
話し相手として必要としてもらうために、有用な知識や見識を持っている必要もある。
交流する人がいないと、わたしはとてもさみしい。
子供を育てるというのは、その点手っ取り早い。もちろん、子供が、将来、十年に一度か、二十年に一度か、葬式に着てくれるだけでもありがたいと思う関係になる可能性は大いにあるのだけど、それでも、今、周りがどんどん年を取る中で、これからの未来と可能性、生命力の塊と接することは、励みになることだ。
わたしの子供はユニークな人格を持っていて、人を観察するところがある。
やってみて、試してみる、という行動をとる。プレステを止めることも覚えたので、ネトフリでつまらないものを見ていると、自分で消して、親の反応を待っていたりもする。
もうすぐ一歳ともなると、個性が明確になって、頼もしい限りだ。
洗濯物を干したり畳んだりしていると、手伝いにやってくる。
実際には、洗濯物をパンパン叩いたり、洗濯ばさみをもぐもぐしたり、ハンガーを振り回したりするだけだけど、一緒にいるとときめくので、ちゃんと手伝いが成り立っている。いるだけでいい、ってこういうことなんだと思う。
存在するだけですばらしいのだ。
身近な人が、死に支度を始めたので、落ち込んでいた。
そして、自分の寿命や、老いていく過程について考えもした。
具体的にどうやって老いることを乗り越えるのか、考えられてよかった。
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