14歳のころ、エヴァンゲリオンが放送されて、「なんかかっこいいアニメ」と呼んでいた。ロゴが読めなかったからだ。
テレビ放送時の紙芝居のもみたし、えのぐをぐちゃぐちゃ塗ったみたいなバトルシーンも見た。
ミサトはなんかエロかった。
でも、今見るともうミサトが無理すぎる。
ゲンドウがミサトに命令して、ミサトはシンジと暮らす。
ありえないよね、上司と部下が一緒に暮らすなんてさ、しかも大人と子供だよと高校生に言った。
高校生は言った。
「気を使うからダメってことですか?」
あー、まだ、こどもだからわからんのか、と思った。
「学校の先生がある日、おまえんち住むわ、つって来て、裸でビール飲んで、お前家事が下手だとかあれやれとか言った挙句に、キスしてきたらどう思う?」
と言ったら、え、そんなんありえないですキモイ、ってかえってきた。
そーだよね、それを仕組みとして作ったのは大人のゲンドウとミサトなわけよ、シンちゃんはずっときもいけどあれはあの子の生じゃないわけ、仕組みとして公私混同があるんだよ。
ゲンドウが命令して評価する。評価するのは数字だけ。
だから、チルドレンたちは、適応しようとしてえ、レイはいちゃつくし、シンジはお父さんお父さんいうし、アスカは優秀であろうとする。
どういう適応の仕方として現れるのか、が個性になるんだよね。
でも、基本は、ゲンドウが悪いって構造があるんだよね。そこで、子供たちがどういう風に動こうと変わらないんだよね。大人が悪いという構造があるんだよ。構造を作って評価軸を作った大人がいるんだから。
という話をしました。
キモイ、気持ち悪いって言葉は何かと批判される。
それは、感覚的な言葉だからだ。
でも、その感覚にはとても大事なことが含まれている場合がある。
言葉で説明しろ、説明しろと追い立てられる側と追い立てる側の非対称を突き崩す可能性のある言葉だと思う。
追い立てる側が、キモイと言われてダメージを受けるのは、それまで、優位だった関係が壊れるからだ。
一方的に説明しろ、と言えていたのが、言えなくなるから、反逆として感じられるのだろう。そして、その感じ方は正しい。私たちは正しく攻撃している。
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