過去の自分の選択を許そう

過去の自分の選択を思い出して、それが正解だったのか、悩んで、寂しくなって、情緒不安定になって、人に話を聞いてもらっていました。

大昔、恋愛をしていまだに引きずっているのです。

そのときの、自分が正しかったのか、あの時の選択が違っていたらどんな人生だったのか思います。

でも、相手が忙しい時期で、わたしは依存体質で、だからうまくいかず、自分がないがしろにされている気がしてつらかったのです。
それで、別れたのですが、それでよかったのかなと。

気分よく一人で生きるほうを選んで今に至ります。

そして、それは少しずつ実を結んで、地味で地道な人生を手に入れつつあります。

過去の恋愛を引きずるのって、そのとき、「我慢していればよかった」「もっと対話すればよかった」とかですが、相手あってのことで、その相手も、違う相手とならうまくいっていたりしていて、縁なんですよね……。

そして、過去のことを美化している自分もわかっています。
過去のことを考えても取り返しがつかないし、時間を無駄にしていることも。

つまり、わたしの抱えている問題って、「あのとき正解だったかどうか」検証したい気持ちなんですよね。
今幸せかというと幸せです。
今幸せなのは、こつこつ積み重ねてきたことがあるからです。

友人に「知識は通貨のようなもので、移動手段なんだ」と言われて目からうろこが落ちました。
だから、今は仕事をしながら知識を蓄えているのだから、力を蓄えているのだと(ここに書いてすみません)言われて、なんだかほっとしました。

他にも話を聞いてもらって、情緒不安定な時に話を聞いていただけるのはありがたいなと思います。

過去の自分が愚かだったのか、賢かったのか、わからないけれど、そのとき、精いっぱいの選択をしたんですよね。

だから、わたしにできるのは、「今、自分の選択を受け入れて、許すこと」なんだと思います。

なんだかんだいって、一人で暮らせているんだから、まあまあの結果です。

それで言うと、「正解」になるように、積み重ねて努力してきたんですよね。

あのとき、結婚していたら、でも、わたしには家事もできないし子供を産んで育てて、相手の人を支える生き方はできなかった。
今もできません。

わたしのほうを見て、ってずっと思っていましたが、それも叶わないことも、当時のわたしは知っていました。
結婚しても、変わらないだろうということも。大人相手に、変わることを望むのは難しい事。

自分を変えるしかないとあがいたけれど、「交際を続ける」方向で変わり続けることは難しいし、つらいし、気分が良くなかったです。

だから、別れるって選択をしました。それが、わたしが「相手に対しての接し方を変える」の究極形で、あの時初めて、自分の人生を受け入れ始めたのだと思います。自分で生きていく、ってこと。誰かのおまけじゃなくて。相手の都合のいいときにニコニコしているわたしには、なれないし、ならなくてもいいんだって思ったときに、別れたのです。

今でも懐かしいです。でも、あの時の彼もわたしももういないのです。

わたしは、自分がバカだから、あの選択をしたんだって、考えていたけれど、でも、一生懸命考えた結果だから、わたしは、わたしのことを許したいなあ、と思えるようになりつつあります。100パーセントそうはなれないけれど、でも、少しずつ、そうなっていけたらな、って思います。

人生のターニングポイントって、それまでの行動の蓄積がそれを選ばせているのだと思います。

客観的に考えると、今のわたしは幸せです。
感情に流されて、過去に引きずられてはいけないです。

わたしは過去の自分も肯定できるようになりたいです。

過去を美化しているから、嘆いているけど、つきあっているとき、嫌だったこともあったのです。
その嫌なことをやめられたのだから。
そして、好きなことをしていられるのだから。

これでいいのです、と思う練習をしたいです。

生徒さんに、一人で生きていく力をつけてほしいって、言っていて、自分もそうしているのに、躁じゃない人生があったかもしれない、って思うのは矛盾していますね。

生徒さんに話す言葉で、自分自身も肯定される瞬間があって、ありがたいなと思います。

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