大宮のソープランドで痛ましいことがあった。
老朽化による火災で、人が亡くなったのだという。
老朽化しても、立て替えることができないそうだ。
それは、セックスワークが、犯罪化の流れにあるからなんだと思う。
箱型のほうが、働きやすいという人もいるそうだ。
すぐに助けを呼べるから。
しかし、もう箱型の施設を作ることはできないのだという。
以前わたしは、売春は罪だと思っていた。
その後、セックスワーカーは悪くないから、買うほうを取り締まればいいと思った。
けれど、いろいろな人に教えていただいて、そうすると、結局、客がいなくなって、働くことができなくなるのだと知った。
セックスワークが犯罪化すればするほど、働きにくくなる。
働く場も減り、働く場の環境も悪くなるのだと。
それでもわたしは、生き死には、客による暴力が主だと漠然と思っていた。もしくは、過労や、病など。貧困。
わたしの想像力は貧困だった。
しかし、大宮の火災で、そうではないのだと、知った。
どう考えればよいのかわからなくて、ただ、痛ましいと思った。
でも、わたしは社会の一員であり、この火災で亡くなった人の死の一端を背負っているのだと思った。
だから、書くのだけれど、セックスワークを非犯罪化し、働きやすい、安全な環境を求めたい。
もしも、セックスワークが、労働として、はっきりと認められていたら。
この事故は起きなかった。人も死ななかった。
生きるために働く。そのことに貴賤はない。命の軽重にも。
生きるために働くのだから、労働によって人が亡くなってはならない。
命を守るために、必要なのは、労働として、セックスワークが認められること。
尊重されること。保証があること。安全であること。
生きていけるだけの賃金があること。人種や生まれ、信仰、性別による賃金の差別がなくなること。
貴賤を作るのは、わたしであり、ほかのだれかだ。