悲しい事

わたしは勉強が得意だったので、それを頑張ってきた。
だから、勉強を生かせる仕事につけた。
でも、悲しくなる時がある。

大手企業でバリバリ働いて、わたしよりずっと収入のある人がいたり、結婚して子供を産んで育てている人を見ると、悲しくなる。

わたしの能力をもっと生かせる場所があったんじゃないかって。

できないことをサポートしてもらえれば、もっとできることがある……、と妄想してしまう。
わたしには、わたしなりに能力があるんだって、思っているから。

いわゆる定型の人が、世の中の流れに乗って、それ自体が、たいへんだったり、幸せとは限らなかったり、子どもや妻を養わなければならないつらさがあったりするのは知っている。

わたしにはそれがないから自由でいられる。世の中の流れに乗っていないから。でも、乗ってみたかった、という気持ちはぬぐえない。
そっちの人生はどうだったのかな、なんて思う。

同窓会に行くと、何やってるのって聞かれる。正直に答えるとバカにされる。
わたしなりに、築いたものがあるんだけどな……。

同窓会にはきっともう行かないだろう。

わたしはハンデを補うべく、行政を利用してきて、その知識がある。
だから、もっと困っても、助けてもらえる自信がある。それは技術だから、ない人にはないしある人にはある。
それ自体不公平なことだけど。

世の中は不公平に満ちている。
だから、自分がやりやすいように知恵を絞らないといけない。
その知恵の絞り方はずいぶんうまくなったと思う。

でも、やっぱり、今日みたいな夜には、「普通」になりたかったと思う。
診断が下りていないころも「普通」に憧れていた。
今も憧れている。

自分の障害の範囲で頑張ることと「普通」の人の苦しみの中で、普通の人が頑張ることと、同じだったらいいのになあ。

c71の著書

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悲しい事」への8件のフィードバック

  1. お久しぶりです。
    なんだか、悲しかったのですよね。
    自分にないものの、失ったもののことを芋づる式に思い出しました。

  2. そういう時もありますよね。
    それでもわたしから見るとc71さん、いろんなものを手にしてるように見えてうらやましくもあるのですが(笑)でもそんな簡単に言えることではないですよね。
    寒暖差のせいか、わたしも心がくるくる動きます。
    うまくいつもコメントできないのだけど、c71さんの言うことや能力のパラメータみたいなものに、いつもちょっと勝手に近しさを感じています。
    誰かに触れてその誰かは私によって何か得をするのだろうか?何かを間違って奪わないだろうか?と、塾で生徒と時間を過ごす度、あるいはこうやってブログにコメントをする時にもめちゃ考えてしまう、
    だけどこんにちはって言いたくてしてみました!

  3. こんにちは!っていってくれてうれしいです。
    ありがとうございます。
    いろいろ手にしていて、恵まれてるとは思います。
    でもやっぱりいきにくさは感じています。
    他の人もそうなのかな。

  4. どうなのでしょうね。
    ただ、集団で溶け合えることはすごく気持ちいいことで溶け合えないときと比べて何も考えず生きていくのに支障はない気がします。わたしはごくごくたまに、100年に一回かってくらいたまにだけどそれが出来る時もあります。
    でも、そうじゃない時がほとんどで、そういう生活の中で定型力が強い人?が社会とか会社とか強い何かに頭を乗っ取られてるように見えて、それを感じるととても苦しくなります。
    他人と具体的に比べることはありませんが、社会の壁にぶち当たる度、もうちょっとだけ普通のコースにいられていたらと思わなくはないです。そしてc71さんが上の記事でおっしゃってたようなことを薄く夢想します。
    それはさておき、なんだかこの記事を読んだ時は無性に寂しい気分だったのは確かだなあ。

  5. そうですね、悲しくなります。
    持っている(ように見える人)が無性にうらやましくなります。

  6. うっかり長いコメントしてしまいました。
    新しい方の記事も読みました^ ^
    部分的につながってる話ですよね、きっと。
    また新しい記事たのしみにしてます。
    c71さんがお元気でいられますように!

  7. ありがとうございます。
    いろいろ不安なことがありますが、元気でいたいと思います。

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