あなたたとわたしは別の人。だから、自分がしなかったから、自分が選ばなかったからといって、他の人の選択を笑うのは自他の区別がついていない人。
何度も言うけどねおっさんも保育園探し大変だった経験がある。認可・無認可で入れないとこ沢山あるから。でもね入れなかった時「ニホンシネ」なんて思いもしなかったよ。「あーーーー急いで次探さないと」としか思えないのが普通。いきなり「行政が悪いからデモするお」なんて解に辿り着かないって。
— ヒゲノマダオ (@HigenoMadao) March 7, 2016
からかうこと、ちゃかすことができるのは、あなたが優位な立場にいるからだ。それが意識的ではないにしろ。
からかいは、権力の象徴だ。
権力なき者は、誰かをからかうことができない。
からかわれた側は、それに対して抗議することもできない。
からかいは、無罪なのだ。
からかいは、暗黙に、強い政治的効果を持つことになる。マスコミのからかいの対応は、多くの女性をリブ運動から心理的にひきはなすのに非常に大きな効果をおよぼした。しかし、この効果がまさに暗黙になされるゆえに、それに対する非難、攻撃を行っても説得力を持ち得ないのだ。《女性解放という思想》
— フェミ・ジェンダー本bot (@feminismbookbot) 2016, 3月 9
からかうことができない人たちは、数を頼んで、世界を変えていくことしかできない。
世界を変える。
自分が、生き残れたから、その状況に適応できたから、大きく物事を変えようとしている人はフリーライダーだ。
保育園も、誰かが作ろうと思ったからあるもの。
そして、今は保育士の資格を持った人が、働けない状況にあって、賃金も安く、そして、保育園の数が足りていない。
その状況を変えないといけない。
なぜならば、日本は女性差別がひどくて、子どもの預け先がないと、仕事をやめざるを得ないのは女の人だから。
女の人の経済力を奪って、得をするのは男の人。
結婚という枠の中から、飛び出していくことを不可能にするのは経済的な困難だから、保育園がないことは女の人の自由を奪う。
ほんとうは、保育園のなさは、親である男の人にかかわることだし、ダブルインカムからシングルインカムになるのは、男の人にとっても損失だけど、なぜか男の人はそういうことは考えない。
企業も女の人を本気で育てない。女の人はやめるものだと思っている。
実際にやめるしかない状況を国が作っている。
ひりつくような選択肢を突き付けられて、女の人ばかりが選択していく。
男の人は仕事を辞めるかどうか、悩むのかわたしは男でないから知らないが、女の人は勤務地から、働く時間から何から何まで縛られている。常識、という言葉一つによって。
就職の時点から、女の人は、仕事を辞めるかどうか聞かれる。そんなことはわからないのに。
常識というものが、誰が作ったものか知ったときに、どう動くかということ。
常識という目に見えないものに殺されていくことごと。
常識を作る人たちは無意識に、共通幻想を形成していく。自分に有利なように。それはたびたび合理性を欠く。
だから、マジョリティに帰属できない時点で、不利なのだ。
わたしの中で、「あなたは結婚しますか」「彼氏はいますか」「子供を産んだら(やめてくれますか)」と聞かれた絶望は熾火のように残っている。
男の人はそんなこと聞かれないだろう。「女の人にできる仕事はうちにはありません」と言われたこともあった。
わたしはいつも、いつだって、日本死ね、と思っていたよ。そのたびに、頭を押し付けられるたびに。
女だからと言われるたびに。
女の人はそんな世界で生き抜いて、仕事を得て、そして、仕事を失う。お金がないと生きていけないのだ。
だから、自分がお金を稼げないと、誰かに従属しなくてはならないのだ。
支配されることの苦しさを、知っているか。
生きるためのすべを失いたくないと、抗うことを「そんなことを思いつくほうがおかしい」と笑うあなたは、自他の区別がついているのだろうか。国全体の仕組みで、女の人が仕事を失う世界で、できることは、他の保育園を探すことだろうだけだろうか。
国全体の仕組み自体を変えたいと願うことが、そんなにもあなたはおかしいのだろうか。
他人の絶望の熾火の熱さを知っているか。
きっと知りはしないのだ。
あなたと、わたしは別の人だから。