前のケアマネさんとは相性が最悪だった。
わたしが、妊娠を急いだのは、前のケアマネに「早く子供を作ったほうがいい」と言われたから。
それは違うと思ったけれど、言われたことは実行してしまいがちな特性のため、医師にも減薬がひと段落するまで待ってと言われたのに、急いでしまった。
だから、妊娠してから減薬は無理やりだったので相当苦しんだ。
それに、わたしたちの事情を聞かないで、聞いても理解しないで、説明もなく、支援の時間を三分の二にされた。
生活が変わってしまうし、実情に合っていない。
わたしのわがままなのだとしたら、説明がほしい。
現状を把握していないのに導き出した答えは間違っているんじゃないか。
そう思って、ケアマネを変えてもらった。
事業所に電話をしても、とりついでもらえず、かけなおしも来なかったので、不信感が募った。
今でも腹が立つ。
福祉職は、人の人生を変える職業でもあるんだなと思った。
新しいケアマネさんは若いけど、仕事のできる有能な人だから、彼女がすることだったら、どう転んでも信頼できると思った。
医者でもなんでもそうだけど、「この人の言うことだったら、不利益になろうと、もしも死ぬことになろうと、任せよう」という気持ちでわたしは向き合っている。この人に命は任せられないと思ったら、変える。
わたしが健康だと、わたし自身が快適だ。そして世の中にとってもとてもいいことだ。
だから、わたしは支援を受けることを選んでいる。
支援を受けることを特別だと思っている人が多いけれど、学校や保育園、病院、いろいろなところで、みんな税金のお世話になっている。いつでも消防署に連絡できたり、ごみを回収してもらえたり。
障碍者支援はその延長だと思っている。だから、特別なことじゃない。
わたしが普通に生きるために、必要なことが、人とは少し違うだけだ。
わたしは、子供を産む。
遺伝の可能性がある病気を持っている親が、子供を産むことに反対する人がいるのは知っている。
もちろん、そんなものは、優生思想だから、とり合う必要もない。
だけど、わたしは、子供を産みたいけれど、服薬しているから…、とか、障害があるから無理だ、とか、思っている人がもしいるとしたら、でも、本当は生みたいのだという気持ちが少しでもあるとしたら、わたしは、自分自身で、それを達成したい。そういう風に見せることが、ほかの人の役に立つかもしれないから。
かといって、子供を産むのがえらいなんて思っていないけどね。
確かに子供が体の中で動いているのは楽しいし面白いけど、きついこともあるし、ほかの経験ができなくなるわけだから、別に絶対経験したほうがいいとも思わない。男の人はそもそも産めないわけだから。
でも、どうせ、一人で育てるわけじゃなくて、ほかの人や、行政の力を借りるわけなんだから、産みたかったら、産みたいよね。
わたしは、事実婚で、ポリアモリー気味(最近は落ち着いているような気もする)けど、子供を育てるんだぜ、というのをしたい。
子供を産むってこと自体が、親のエゴだとも思っている。
生まれた子供には、ちょっとでも楽しいことや幸せなこと、気持ちのいいことを体験してもらえるように、がんばりたい。