精神病棟で何をしていたか

わたしは解放病棟にいた。
二週間待った。入院先はなかなか空かない。家の外で、よく叫んだ。

泣いたりわめいたり、うろうろしてとまらなくなったりしながら、じりじりしながら入院の日を待った。

入院したら、安心したのか、症状が悪化した。そういうことはよくあることで、安心して症状を出すことができる場所だ、ということだ。思う存分、症状を出すことで、安心を経験するのである。

最初の一週間は、個室から出ることができなかった。
個室の外に出ては、パニックになり、うずくまっていた。

体操や、ヨガなどのリクリエーションになるべく出るようにした。
薬の影響で太りやすくなっていたので、個室のベッドで筋トレをしていた。

二週間がたつころ、作業療法の許可がようやく出て、手芸をすることになった。
病状が安定している人は、食堂で、手芸を続けることが許可されていたが、わたしの場合はとがったものを持つことが許されなかったので、作業療法室での短い時間だけが楽しみだった。

少しずつ、同世代の病人とご飯を食べるようになった。
アルコール依存症の人とは、あまり話が合わなかった。
統合失調症のおばあさんと同室の子は、独り言をきくのがしんどいと嘆いていた。

作業療法では、ほとんど遊びのようなことをしていた。自信がなくなっていたので、遊びを通して、小さな成功体験を積み重ねることで、少しずつできることがあるのだと実感できることがうれしかった。
変化のない毎日の中で、作業療法の時間は、没頭して何かをする限られた機会だった。

変化がない生活そのものが、わたしを病気から休養させた。
よく、病気をしていると、ゆっくり休んで、と言われるが、病気の最中には、「休んでいる」ことはできない。
病気の苦痛と戦ったり、我慢していたりすることが精一杯で、休んでいることはない。
入院することで、刺激を減らして、ようやく休むことに近い状態になる。しかし、どちらにしても、病気は戦いだ。

生活リズムを整える、栄養のあるものを決まった時間に食べる、薬を飲む、会話する、それが大切な治療だ。
医者は多忙なので、あまり顔を出さない。予約しても、来てくれるのは、一週間先や、二週間先だったりする。
夕食は、二種類からメインディッシュを選べる。それだけの自主性だけでも、発揮できれば、十分に生きていると実感できた。

ときどき、病棟からこっそりと抜け出すことを、当然気が付いているだろうけれど、目こぼしてもらって、散歩するのが楽しみだった。

c71の著書

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