同じ自閉症傾向でも特性が違う

六帖さんとわたしは、同じASDでも、特性が違う。
わたしは、比較的誰とでも話ができるが、六帖さんは、知っている人としか話せない。
昔わたしは、初対面とは仲良くできるけれど、継続的な人には、不安定な波を隠すことができず、付き合うことが難しかった。六帖さんには気分の波は少ない。

片付けも、わたしは、実家が、片付けをしない家だったので、片付けの仕方が分からなかった。物の場所を決める、という基本的なことが理解できなかったのだ。
本を読むのが得意なのだから読んで勉強しろと父親に言われたけれど、そういう問題じゃなくて、実際に見ないと理解できない部分が多い。あいまいな指示が理解できないのだ。実際に見ると、具体的も具体的だから、理解できる。

ヘルパーさんに教わって、片付け方の基本を教わった。動線を考えること、よく使うものは手前に入れること、奥のものも出しやすくすること。だから、わたしの家の台所のシンク下は複数のヘルパーさんが使うので、非常に使いやすい。どこに何があるのか、一目でわかる。

お玉やフライ返し、軽い鍋は、壁につるしてある。取り出しやすいし清潔だ。
洗ったお皿は、ちゃんと引き出しにしまう。引き出しの中も場所を決めておく。誰でも、すぐしまえるようになっている。
調味料も調味料入れにしまっている。ジャンル別にしている。

服や雑貨、押入れの収納の仕方も教わった。
わたしは、奥行きのある引き出しを使うと、手前にあるものを使うだけになってしまうことや、たたむことが致命的に苦手なので、深さのあるバケツを収納にしている。奥にあるものを出しやすいように、車輪のついている板の上に載せている。

六帖さんは、服を畳むことができる。でも、深さがあるバケツに入れると、下のものを認識できないので、上になるものばかりを使う。
だから、六帖さんには、奥行きがあって、浅い引き出しが良い。

わたしは、片付けの配置を考えることができる。
でも、毎回同じ場所に入れることが、感情の波の低い時にはできなくなる。それでいて、部屋が散らかると、混乱して、パニックが起きる。
六帖さんは物の配置を考えることが苦手だ。何か新しいことを思いつくことがあまり得意じゃない。その代わりに、継続して何かすることや、こつこつすることが苦にならない。

だから、六帖さんは、洗濯物を畳んで、決められた場所に入れることができる。新しいものが増えなければ、家を散らかさないで済む。
でも、新しいものが増えたとき、わたしと六帖さんが同時にダウンすると、部屋がとても散らかってしまう。

わたしは掃除機の音が苦手なので、ヘルパーさんに頼んでやってもらう。
妊娠してから、寝たきりだったので、手伝うことができなかったのだけど、今日は一緒に片付けができた。

話しながらできるので、とても、気分転換になる。

手伝うと、身体介護になるので、点数は家事援助よりも高い。何もしなければ、家事援助になるから、点数が低い。
でも、わたしは、自分でできることを増やしたい、というのが目標なので(介護には目標が設定される)、できるだけ手伝う。

料理は、以前は、気力がなかったため、大鍋でスープを作って、何日も食べていたけれど、六帖さんが来てから、毎食ごとにご飯を炊いて、一品だけのことも多いけれど、毎回作るようになった。
だから、食生活が安定した。

六帖さんは、毎日同じことをすることが得意で、わたしは飽きっぽい。飽きっぽいのに変化には弱い。
変化に弱いのは、六帖さんも同じだけど、微妙に違う。

わたしは同時に何かすることができるけれど、六帖さんは疲れてくると何をしたらいいのかわからなくなって、フリーズする。それは、わたしにも起こるけれど。

わたしには感覚花瓶が、音と光、PTSDで男の人の大声が怖い、というのがあるけれど、六帖さんにはあまりない様だ。
二人とも共通して苦手なのは、困っているのに、自分が困っていることが理解できない、というところだ。

でも、二人で暮らして、とても楽しい。

今日は調子が良かったので、一時間ほどレザークラフトをした。オレンジ色のペンケースを作って、六帖さんに上げた。

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