今日は学校をボイコットしている生徒さんに、溶液と溶質の割合について話した。
簡単に言えば、全体分の部分を出すだけの話だと話したら、一発で話が済んだ。
これで躓く生徒さんは多い。
でも、話は単純なのだ。
彼も、いろいろなことで悩んだり、困ったりしている。
でも、やはり、わたしと同じように「自由でいいね」と言われるそうだ。
自分で判断して、自分で行動していると、そういうことを言われる。
誰だってできるはずなのに「自分にはできない、うらやましい」と言ってくる雑音は入ってくる。
リスクを受け入れたら、誰にでもできるのに。
でも、リスクは受け入れたくないから、そういうことを言う。そして、人のことをうらやむ。
人をうらやむくらいなら、自分ですればいいのだ。
でも、人の標準世界から外れると不利益があると思い込んで、それは避けたいから、安全パイを取る人が、人のことをうらやましがる。
うらやましがるのは、簡単だ。
自分は悪くない、相手が悪い、うまくやっている人がうらやましいと思っていれば、自分を変える必要がないから。
そういうのはくだらない。
学校に行かなくても、勉強をしていれば、世界は広がる。
同世代の人とかかわるスキルや年上の人とかかわる場所がありさえすれば、学校は行かなくていい。
もちろん親御さんの経済力や余裕、家で子供がいることという大変さを受け入れる条件があるけれども。
自由でいいね、という言葉の裏側には、「私は不自由なことを我慢している」という一言が隠れている。
だから、自由でいいね、と言われてうれしくもなんともない。
自分で考えればいい。
自分で考えることには限りがあるから、本を読んで、見聞を広めて、自分の疑問を解消しながら、自分の生活や性格と折り合いをつけることがとても大事だ。
中学一年生にして、そのことができている生徒さんは安心だ。
だから、全力で知識を教えて、世界を広くする手伝いがしたい。