責任を取るつもりで子供とかかわっているけれど、本当の責任はとれない。
取ってはいけないと思っている。責任を取るのは子供自身であるべきだから。
わたしがその子の責任を変わって取ってしまえば、その子の人生を奪うことになる。
子供時代にはつらいことが山ほどある。
そのつらさに同調しすぎて、一緒に悲しくなってしまうと、その子はわたしを頼れない。
俯瞰しつつ、一緒にいることが大事だと思っている。
べたべたしてきたり、甘えてくる生徒さんに対して、こちらが線引きをコントロールしないと、子供は「まずい、これ以上はしてはいけない」と思いつつ、自分をコントロールできないものだから、やっぱりまずい結果になる。
だから、甘えさせつつ、こちらが距離を取って、線引きをしないといけない。
つらいことも、苦しいことも、悲しいことも、その子の成長に必要なことだから、少しずつ強くなるために、負担の量を調整しながら、見守る必要がある。
自分にも子供の部分があるから、どうしても立場を寄せて、一緒の気持ちになってしまう時もあるけれど、やはり、わたしは大人なのだ。
大人だから、距離をコントロールするのはわたしの仕事だ。
子供が知らない世界を見せて、自由を選べるのだと教えるのがわたしの仕事だ。それでお金をもらっている。
親でも学校の先生でもない異質な大人として、自由で楽しそうな姿を見せることで、希望を与えることができるのだと思っている。
つらい境遇にいる子は、問題行動を起こして、気を引こうとする。
ケアはとても難しい。
わたしには、ケアをする能力が足りていないと思いながらも、とにかく、決められた時間で、距離を保ちながら、見守って、幸せをつかむ力をはぐくむ手伝いをしたいと思っている。
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