結婚式疲れ

六帖さんと、一緒に結婚式に行きました。
仲の良い友達の結婚式で、スピーチも頼まれ、誇らしい気持ちで、わくわくでかけました。
しかし、牧師さんの説教が四十五分も続き、「男女は結婚したら何をされても離婚してはならない」「世の中には男と女しかいない」「結婚したらお互いの骨、肉になるのだから、不都合な点でも受け入れなくてはならない」「赤子がむずがったら、出て行ってくれ」という話が続いて、げんなりしました。
DV推奨じゃないか。

わたしは仏教徒なのですが、結婚したい人でも「良縁祈願」であって、性別その他は問いません。
この牧師が悪いだけだとは思うのですが、かなり怒り心頭しました。赤子を許容できない宗教に何の意味があるのか。
ほかにも祝辞が「自分の企業の宣伝」だったり、「新婦のうわべだけを見ていて、質問すること自体に女性らしさ」を感じると言ったりしました。
一番頭にきたのは「男は結果を求める。女は話すことで共感を求める」のくだりでした。
残業のつもりで妻の話を聞けば、料理が一品増える、ということも言っていました。
その上司は、友達に対して、サービス残業を強いた人だったので、余計に腹が立ちました。
夫婦は男女平等で、話し合い、情報を共有し、相談することで、愛を維持するのだという考えのわたしはその話だけで苦痛でいた。
ほかにも、新郎の側でも、友人スピーチで、自分の話ばかりをし、「自分にとっての幸せとは」という語る人もいました。
「女性は金星人、男は火星人、だから分かり合えないのが前提」という話すらあり、「人間同士で暮らしていく」という視点が全くなく、疲れました。
「火星人なら火星人同士で暮らせば」と思いました。
世間って、いまだにこうなのですね。引きこもったり、家にいて、ネットをしていると、そういう人たちに触れ合う機会がありません。
女を人間扱いしないで、「共感を求める生きモノ」という人がいまだにいるとはと思い、消耗しました。
そもそも、そのスピーチでは、結果を求めているのでなく、共感を求めているとしか思えず、そのスピーチの男性は、自分のことを全く顧みていないのだと思いました。

幸い、友達の伴侶は、優しそうな方で、それだけ安心しました。

わたしは、スピーチで「男女の脳の性差はない」「生活の中で愛がすり減ることがあるから、話し合うことで、愛を育てていってほしい」「男だから、女だから、と言っていたら、自分らしく生きられないから、そういうことに囚われずに家庭を運営してほしい」「私の友達は、頑張り屋さんで、いつもニコニコして、愚痴を言わないから、愚痴を言わせてあげるような関係を育ててほしい」「幸せになってほしい」
というスピーチをしました。
スピーチをしているほかの人たちは、自分のことや会社の宣伝ばかりで、幸せになってほしいといいませんでした。
それで、わたしは消耗しました。

昨日、ヘッドハンティングがあり、新しいところで働く可能性が出てきました。
時給もあげてもらい、自分のうちで塾をすることを認めてもらえれば、受けようと思います。
今も、Skypeの授業は受付中です。時間も、融通が利きますし、短い時間で何度もすることも可能です。
中学生は、一時間2500円でするつもりです。

いいこともありました。
新郎新婦の心づかいの詰まった贈り物や手紙には感激しました。
いいお式でしたが、スピーチを聞いていて、まだまだ男女平等どころか、女性を人間扱いしていない人がどれほど多いのか、祝福さえできない人が多いのか、痛感し、とても疲れました。

途中で、気分が悪くなり、不安定になったので、申し訳なかったのですが、途中で退席しました。
それにもかかわらず、友達からは心配のメッセージとお礼をいただきました。
本当に優しい人だなと思いました。

c71の著書

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