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「存在しない」サバイバーたち — セックス・労働・暴力のボーダーで(1) 大野更紗
わたしは、性暴力サバイバーだ。
婦人保護施設に入っていたことがある。
わたしは、インビジブルなのか。
いや、そうではない。
大野さんが、存在しないと書いたのは「政治的に」「世間的に」という意味なのはわかっている。
けれど、体が震えた。
わたしは存在する。
「存在しない」と書いてしまえば、それがその通りになってしまう。
わたしは過去、暴力と性暴力が連鎖する中で生き抜いた。今もその戦いは続いている。
わたしは存在している。
確かに存在している。
大野さんが「存在しない」と言っても、わたしは存在している。
存在しないことにしたのは、大野さんも同じなのではないか。
婦人保護施設に行って、異邦人として驚く大野さん。
わたしにとって、婦人保護施設は、保護される場所だった。つかの間の安心の場所だった。
なにも特殊なことはない。
わたしは婦人保護施設にいた間のことは何も言うことができない。
わたしが婦人保護施設に入っていたことだって、言っていいことなのかもわからない。
ほかの女性たちが、安全を奪われることになるのが怖いのだ。
大野さんが、婦人保護施設を取り上げたのはとても良いことだと思う。
予算が足りていないし、それには関心を集めないといけない。
わたしはいろいろな特殊な状況下に生きたせいで、精神病になった。
それは、そうだ。
だけど、インビジアルな存在になったつもりはない。一度もない。
病む前のわたしが、「存在する」人間で、今のわたしが「存在しない」サバイバーなんて、そんな馬鹿なことがあるものか。
このエントリからすると、わたしが人間からサバイバーに変化したみたいじゃないか。
わたしはずっと人間だ。
たまたま、被害者だとかサバイバーだとかの属性を新しく得ただけだ。
わたしがインビジアルな存在になったとしたら、大野さんのくだんのエントリを読んだ瞬間である。
大野さんが、わたしをインビジアルな存在にしたのだ。
わたしは愚かしく不安定なサバイバーで、だけど、「存在しない」サバイバーではない。
*******2013/02/07追記
大野更紗さんには、才能があり、わたしは嫉妬している部分もある。
彼女は病気以外については、立派すぎる。立派すぎてつらい。
立派すぎると言い方には誤解があると思うけれど、病気以外の社会問題に関しては「浮ついている」。
彼女は、性暴力被害者にも、売春をする人にも、まったく距離を置いて文章を書いている。けれど、彼女は寄り添おうとしているのだろう。その落差が、見下ろされているようでつらいのだ。
彼女はかわいそうに見えなかったとか、かわいそうに見えたとか、そういう表層で語っている。その表層を反省するそぶりも見せる。でも、表層だ。
そうでなければ「存在しない」サバイバーという題名はつけなかっただろう。
もし、存在しているのにも関わらず、存在していないと言われたサバイバーがあれを読んだら、という視点に関して、彼女は正常すぎる。配慮が足りないというより、彼女は精神的に健常者なのだろう。
つまり、軽やかな第三者でいる。行けない場所に行くことにドキドキする、貧しい人の前で汗をかく、歴史に思い馳せる…これは全部第三者的だ。まるで、旅行のようだ。生活ではない。
彼女はそもそも、第三者なのだから、そのこと自体にそしりをうける必要はない。
でも、彼女は生活の場に行ったのだ。そのことは、自分で書いている。
しかし、だから、第三者だからこそ、「存在しない」サバイバー
とは書かないでほしい。
彼女は、才能もある。これからが楽しみだし、ファンでもある。
けれど、ごかい解を恐れずに言うと女は立派すぎるので、立派な人がかわいそうな人を眺めて論評しているように見えるときがある。
彼女はとても健全で、高学歴で、親に迷惑をかけたことが今までいと言える人生を歩んでいる。
だから、わたしのような当事者からすると、強い第三者が、おもしろ半分に浮ついて書いているとしか読めなかった。
論評を読むと、「よくぞ書いてくれた」「すばらしい切り込み」という声が多かったけれど、それは、男性だったり、安全な場所にいる女性ばかりだったと思う。けれど、あの記事は、うちひしがれた女性も読む。むしろ、そういう女性の方が期待を込めて読むだろうし、うちひしがれた男性だって読む。
そのとき、あんな風に、インビジアルだとか、けなげに頑張っているような描写だとか、そういう風に書かれると、行き場を失うわたしがいる。
わたしはあのとき、安心を手にした。
天国のようだった。彼女の言うような場所ではなかった。
立場が違えば、同じ場所に行っても、観察したり、感じたりすることは全く違う。
それはわかっている。
わたしは、だいたいのことが理解できているし、その反面、あの記事には、心に刃を差し込まれたような気がした。