教えることと感謝されること

教え子の親御さんから、感謝された。

本当に嬉しく、感動した。

「この子は、今まで、勉強と言うことでは、一度も充実感を得られたことがありません。それが、今では充実しているようです」といって、頭を下げられた。
頭を下げるのはこちらの方だと思う。

教えることで学ぶのだ、というけれど、本当に、子どもたちの、「新しいことを知りたい」という熱心さ、果敢さ、純真さには、いつも感動する。
わたしが教えている子どもたちは、授業にまったくついていけない子どもたちである。
しかし、その子たちの話を聞くと、先生方も、一生懸命教えていらっしゃることは伝わってくる。
子どもたちは、一生懸命、先生のおっしゃってることを理解したいと思っている。
尊敬もしている。
けれども、いろいろな事情があって、先生のおっしゃってることが、まったく理解できない。

それは、先生方の教え方が悪いのではなく、一度に教える人数が多すぎるのだ。
わたしは、子どもたちが、一度は耳にしたことをもう一度、それとも何度でも教え直すだけなので、最初に教える学校の先生よりもはるかに楽な仕事をしている。

だから、親御さんに感謝されるというのは、本当に望外の喜びで、毎日、子どもたちが「わかった、嬉しい」と目を輝かすことを目にし、自分の人間的ないたらなさ(先を焦ろうとしてしまうことや、自分が親にされたことをくりかえしてしまいそうになること)を反省する機会をいただき、また、子どもたちが成長する過程に立ち会わせてもらい、お金をもらい、その上で感謝されるということなので、本当に嬉しい。

思うに、学校の先生方は、そのような感謝の言葉を受ける機会が少なすぎるのではないか。
わたしは、この気持ちを誰かに分かち合いたい。わたしは幸福な仕事をしている。

c71の著書

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