感情に意味があるのかないのかが、最近のわたしの悩みです。
というのは、わたしは気分障害があるので、気分に人生が振り回されまくっていて、舵が切れない状態だからです。
感情が大事、と、認めてあげることで気分障害が治るものならいくらでも「よしよし」したい気持ちでいっぱいだけど、どちらかというと脳の問題らしい。
痛い、に意味があるのかに似ています。
痛いというのは、重要な信号で、痛みがあるから命が守れる。とすると、感情があるから命が守れているのかもしれない。
でも、痛みがあまりにもひどいと人がショックで死んでしまうように、感情の振り幅が大きすぎても、やっぱり支障があるようです。
それに、わたしは、感情が不安定なことに、コンプレックスがある。だから、感情に意味はあるし、価値もあるんだと大手を振って認めることが難しいようです。
感情だとか感覚だとか、本当に何のためにあるんだろう。
あったらあったで、判断を鈍らせる厄介なもの。支障を来すもの。でも、ないならないで、悲しみや喜びを感じることができなくなるから、何のために頑張るのかもわからなくなるし、何のために生きているのかも、「実感」できなくなって、何もかも虚しくなってしまう(これも感情ですね)、厄介なもの。
機械のようになれたらいいなあ…とあこがれもします。
でも、機械にはなれないです。
なれないことを考えても仕方がないです。
とすると、感情は、もう、必ずあるものとして考えるよりしかたがないものかもしれないです。
しかたがないから、感情には意味があると思うことにします。
感情は、ただ、存在することを認めるだけがいいのかもしれません。
そこに花が咲いているように。
花が咲いているときれいです。きれいだと楽しいです。元気が出ます。
元気が出れば、それだけでいいのかもしれません。たぶん。
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けっこう前に書かれた記事ですがコメントさせて頂きます。
自分も精神が不安定な方で、感情や気分に意味があるのかと丁度悩んでいたので、この記事に少し救われました。
受け入れて見つめるということは大切だと自分も感じます。
お互い善い方向に向かえたらいいですね。
返事が遅れてすみません。
身に余るお言葉をありがとうございます。
自分でも迷いながら書いていますが、同じような状況の人が元気が出てくれると嬉しいなと思って始めたブログなので、ありがとうございました。