めまいの一日と親御さんの不安

めまいがひどくて寝込んでいた。
めまいのせいで、吐いた。
年齢を感じた。

めまいというのは、ある一定の年齢の女性がなりやすいものだと聞いていたので「とうとうきた!」「くせになってしまうのかも!」と思った。
なにより、吐くほどひどいめまいは生まれて初めてだったので、こんなにつらいものかと思って驚いた。

去年は初めての腰痛になった。
今年は初めてのめまい!

今までも十分不調だったのだが、そういうことが、母と決別することで完治したこととは別に、体は加齢による老朽化の一途をたどるのであった。
人生は一回しかない、ということが身に染みる。
わたしは、二度と、自分がしたくないことを気を使ってしたりしない…決意を新たにした。

体の不調があると、どんな風に生きるのか、なにを最高順位につけるのか、大切に考えるきっかけになる。いい面もある。

わたしは、不安定な仕事にやむを得ずついたが、案外楽しい。
がんばればがんばるだけ稼げるところもいい仕事だ。

人と人とが関わる仕事としていろいろ考えられる。わたしは人間が得意でなかったから、人と関わる仕事に就くとは思ってもみなかった。わたしの仕事は、子どもを教える仕事もお金をもらってする仕事だ。就く前は、あまり想像していなかったけれど、親御さんのことを支える仕事だと思った。
親というのは、不安に怯えている。
だから、新しくやってきた「先生」に期待もしているし、疑ってもいる。
それに対してどうしていいのか、最初戸惑った。
親御さんの期待に沿おうとして、子どもに怖がられてしまったこともあった。
そうすると、子どもはリラックスできないので、緊張して、勉強のことが頭の中に入らなくなる。
逆に、子どもが楽しんで勉強して「勉強楽しい」と言い出すと、成績が変わらなくても親御さんは安心する。

親御さんは子どもの人生が一回であることをよくわかってる。だから、緊張している。

わたしは子どものとき、「人生が一回きりだったこと」を字面通りにしか理解していなかった。
だから、後悔しているし、この後悔を誰とも取り替えたくない。
わたしはどんなにくだらない人生でもいいから、この立場を誰とも変わりたくない。
もう、そういうのはいい。失敗してもいいから、自分の人生を生きたい。行き当たりばったりでも、自分の人生を自分で決めたい。
より良い人生のためにこうしなさいという指令を受け入れたくない。

子どもは親の逆転のチャンスなんかじゃない。
一番すばらしいのは、わたしが、もう子どもではないという事実だ。
わたしは、誰かの人生の逆転のチャンス扱いされなくてもいい。
それは、すばらしいことだ。
わたしは、平凡な人間で、安定した仕事に就くこともなかったけれど、体は健康で、夜も良く眠れる。
楽しいことも知っているし、これからやってみたいこともある。

めまいを経験したのは、あまり良いことではなかったけれど、わたしは年を取ってきた大人だということがわかってよかった。しかも、それを毎日仕事でよくわかる。子どもに、面と向かって、「昔の人」扱いされたのには、笑った。彼らには悪気などないのだ。
年齢のことで気を使われているときに、いっそう年齢を感じる。でも、年齢も感じなくていいのだ。
大人だということそのもので、子どもの役に立てる。だから、今までのことを後悔したり、腹を立てたりする時間がだんだん減ってきた。仕事があるから。

c71の著書

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