感情というものと暇と仕事

暇だと感情についてよく考えます。

だから、暇を排するというのが、このごろの目標です。

九月の一回目の三連休のとき、一歩も家からでなかったばかりか、ベッドの上から出て行かなかった反省をふまえました。

人間は、過去へ戻れないのに、過去に対して体が止まってしまって、そのときの感情をぶり返して、決して忘れられない、ことを煮詰めていくと、憎しみが濃縮されて具合が悪くなります。

それは損です。

悲しみだとか恨みだとか、そういうものを引き起こす人から離れたことで、感情障害はかなり落ち着きました。

たとえば、わたしはバイクにずっと憧れていたのですが、親に止められていて、いい年をしているのに、言うことを聞いていたのです。
そして、わたしは、そのことに恨みを抱いていました。

近くにいると、いうことを、条件反射で聞いてしまうのです。

でも、親を捨てたことで、自分の好きなように生きられることが本当にわかってきました。

1秒たりとも親のことを考えるのはもったいないです。
あの人は関係のない人です。

親の介護をしないと、子どもに介護してもらえないよと言われましたし、子どもを持つならそろそろ結婚を考えた方が良いと言われましたが、介護をさせるために子どもを持つと言うのはおかしいと思います。
そして、子どもがいない人生も楽しいと思うのです。
子どもは授かり物です。

私は子どもが好きですし、欲しいですが、一人で作れるものでもないです。
そして、そのことをしのごの思っているよりも、やりたいことをやって、楽しいと思って、にこにこ暮らしている方がよっぽどいいと思います。

近頃時間がないと思い始めました。

体が元気でいられる時間が少ないです。

体を使って楽しめることを、何でもやりたいと思います。

腹の立つ人もいますし、人間の幅を広げるために、そういう人と関わらないといけないと忠告されることもありますが、やっぱり、嫌いな人とは距離を置き、快適に過ごし、ニコニコ笑って余裕を持っている方が、嫌いな人とやりとりすることも楽になっていくのではないかと思います。

それが、感情をコントロールする、ということなのではないかと思います。

風通しを良くして、自分が幸せでいるために全力を尽くすこと。

わたしは、長い間、学生をしていました。

今は、そのことが嘘みたいに働くことが楽しいです。

こんなに楽しいならば、もっと前から働いていれば良かったと思うほどです。

でも、その楽しさは、わたしが学生時代にしたつらい思いを礎にしたものかもしれません。
早く働いていたら、今頃は仕事に飽きていたかもしれません。

わたしは仕事を得るのにとても苦労しました。
今は、不安定な雇用ですが、仕事にやりがいも感じて、うまくいかないときは寝込むほど感情移入してやっていて、うまくいくとドーパミンがどばどば出て、人の役に立つ喜びで有頂天になります。

精神病は、働くことで軽減してきた気がします。
お薬もとても良く効いています。

今は、躁状態で、こんなにブログを書いたり、バイトの面接をしたりして、活発で、いてもたってもいられない状態ですが、そういう状態も自分で管理する努力ができるようになりました。

というわけで、眠れませんが、それは仕方がないことかなと思います。

c71の著書

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