冬期講習のときの様子とそれに伴う考えと精神障害手帳についての考え

七時起きで、八時に出発する。
九時から十二時まで三クラスを教える。
へとへとになるけれど、そのあと四人教える。
だから、一日七回授業をすることになるので、とてもきつい。
きついけれど、やりがいはあった。

朝からやることがない、だから、起きないという生活よりも張りがあって楽しかった。

それでも、これを一年間、一生続ける、と思うとめまいがするので、やっぱり、少しだけ働くというスタイルは自分に合っているのだと感じた。

健常者のことがうらやましくないと言ったら嘘になる。
わたしは家事もできないから、結婚をしたり子どもを持つのは難しいかもしれない。

年収一千万を稼ぐことだって無理だ。

そのかわり、自由な時間と、好きなように使えるお金、自分の両親と自分の老後の心配だけすればいい生活は負担がなく、気楽だ。
負担に弱い体質なので、これがちょうどいいのかもしれない。

生徒さんには先生暇なんですか、と言われるが、暇な生活を選んだのだから、それはそうだと思う。

一日中働ける人がうらやましいと思うけれど、やっぱり、そういう人たちもぎりぎりで生活しているのだし、先の展望が見えなくて絶望していたり、結婚相手が借金をしていたり、アル中になっていたりする可能性だってあるのだから、誰がうらやましいと思うのは馬鹿だとも思う。

冬期講習中は、一般の人と同じような生活なので、わたしにはできないなーということをしみじみと思った。
それでも、年に三回くらい、一ヶ月こういう時期があるのだから、そこまで世捨て人じゃないなーと思う。

福祉の人と話すと、仕事をしているだけで絶賛されるのでこそばゆくなる。

わたしの障害は、ずっと変わらないのに、手帳を持っただけで、障害があるのに偉いねと言われたり支援が受けれたりする。
頑張れ頑張れ、頑張ればできるはずと言われてきたし、自分でも思っていたけれど、できないものはできないとあきらめたら、いろいろな人が助けてくれるようになった。
そうしたら、冬期講習なんて、わたしにはとてもできないと思っていたこともできるようになった。

お医者さんは、手帳をとることで、わたしが障害に甘えて、ますますいろいろなことにチャレンジしなくなることを恐れていたけれど、わたしの世界は広がったように思う。

生徒さんに政治的な話をしてしまって上司に怒られるなどの失敗はあるし、いろいろあるけれど、仕事があるのは本当にいいことだ。

わたしは、本当に幸せだ。

同窓会に出たら、結婚していないことをずいぶんネタにされたし、塾の先生であることに悪い意味で驚かれたけれど、結婚がうまくいくとは限らないのはよくわかっているわけで、他の人と同じように生きることが私の幸せじゃないんだよな、と何度も自分に言い聞かせている。

わたしがじぶんで幸せだというとき、そこには、わたしは障害があるなあ、生きにくいなあ、という実感があって、でもその上で、病気がちだった二十代よりも、今の方が幸せだな、よかったな、でもあの二十代を人に邪魔されたのは悔しい、憎い、という気持ちが入り交じった幸せだ。

幸せな状態が続くと、憎しみが薄まるのは本当のことだと思う。
欲しい服を山ほど買って、欲しい化粧品を山ほど買って、無駄遣いをしているけれど、それは青春をじぶんなりに取り戻す行為だと感じている。
だから、あながち無駄ではないのかもなと思う。

c71の著書

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