わたしの自閉症スペクトラムが重いか軽いかはわかりません。
人と会ったらぐったり疲れて、眠くなったり、立っていられないほど疲れたりするので、ある程度のことはある気がしますが、わかりません。
ただ、わたしがこの前書いたエントリの中で、「可愛い障害者」について書いたので、そのことを少し書きたいと思います。
わたしは同年代の女性とはうまくやりにくいのですが、十歳以上年が離れている場合には、非常にうまくいきます。(疲れることは疲れますが)
話が面白い人だと思ってもらえるのです。相手も聞き上手です。
「自分がある」と言ってもらえます。
だから、同年代の人たちの女性との付き合いは避けてきました。
それでも、ある一定の辛抱強い人との、付き合いは、長い人生の中で少しずつ育まれてきました。
それは、年がうんと離れた人との、安心感のある付き合いの中で、少しずつパワーが溜ってきたからなのだと思います。今では、同年代の女性ともある程度うまくやれます。
わたしはよく笑うそうです。
それが印象的だそうです。
たぶん、最初は笑い上戸で、だんだん、落ち着いて、それから無表情になり、笑うこと=無難、無表情の代わり、になるみたいな経緯で、良く笑う顔になったんだと思います。
だから、ヘルパーさんにも、「そんなに重くないと感じる」と言われます。
あいさつもできますし、ありがとうも言えるし、感謝の気持ちも出せるし、そこそこ気も使える、というところや、従順な態度、歯向かわない、などがわたしの特徴と言えるでしょう。
あいさつ、ありがとう、の関係は、剣道をやっていた時代に、身につけたような気がします。
体育会で、強いものが偉い、個人プレーの世界の最底辺にいたわたしは、兼マネージャーでした。まあ、今思うと弱いことはそんなに気にすることはなかったです。
運動は苦手だし、剣道も強くはならなかったですが、体育会のいいところは、とにかく面倒見が良いこと。
気が使えない後輩をびしばし「あれしろ」「これしろ」と言ってくれるのです!
これは「むっ」としながらも、今から思えば、「察しろ」と思われているよりずっと楽でした。
「お前、先生の荷物持てよ」「あとから歩いてきてどうするんだ」「水は最後に飲め」などなどです。上座には偉い人が座るとか、そういうのも説明してくれるんです!
だから、雰囲気を読まなくても場面場面で、こういうときにはこうするというパターンをたくさん身につけられたと思います。
もちろん、これはストレスフルでしたし、避けて通れるものなら避けて通りたかったですが、今はすぎたことなので良い風に書きます。
こう書くといいことばかりみたいですね。当時はつらかったです。でも、今、一応、可愛いがってもらいやすいのは、そういうことを教えてもらえていたからだと思います。言葉で!
二十代の頃は、仕事に就けないことがとにかく悩みでしたが、最近は、人にコミュニケーション能力がある、明るい、など言ってもらえるようになりました。
(疲れるのは疲れますが)
可愛がられる障害者のマイナスの面をこの前書いたので、今回はプラスの面や、どうしてそうなったか、などを書いてみました。
自閉症スペクトラムの人は体を動かすと良いらしいのです。
武道をしたのは、ふりかえってもしかたがありませんが、ある一定の効果があったと認めざるを得ません。