西原理恵子が朝日新聞でいいこと言ってた。「時間は限られているし、手は二本しかない。」 「病と貧困は人を獣にする。プライド高く、日銭を稼ぐことを軽蔑して獣になった人がたくさんいる」 「夫のアル中治療で獣を人に戻すのにとてもお金がかかった。人生の自由は有料だ。」
— たかはし けーすけ (@keisuke0528) 2013, 1月 1
お金を稼ぐことは、自分を肯定する力を強めること。
でも、できれば、自分が楽しく過ごせる場所で働ける方がもっと良い。
いつもと逆向きの電車に乗り込むことすらできないほど、追いつめられる前にそういうことがわかって良かった。
そんな単純なことに、気がつくまで、わたしはぐるぐるしていた。
わたしはプライドが高くて、日銭を稼ぐことを軽蔑していた人だった。
正社員であり続けることが失敗しただけで、人生丸ごと終わってしまった気がしていた。
できることが少ないのに、万能感だけが強くて、だからこそ、失敗を恐れていた。
万能感が少しでも傷ついたら、世界が終わると感じるほど弱かったのだ。
そして、周りの人を傷つけるところに行きかねなかっただろう。
他の人が日銭を稼ぐ生活をしていても、笑いはしないのに、自分はどうしてもそうはなりたくなかった。
高い教育を受けているからには、良い企業(というのも今はよくわからないが)というのがどこかに存在していて、それに潜り込めるものだと信じていた。
今思うとバカみたいだけれど、確固とした信念だった。
病院に入院して、「日銭を稼ぐことをバカにしていないか」と医師に問われた。
「病気で入院している人をバカにしていないか」と。
「それはあなた自身を苦しくする。病気と闘うことはえらいことなのだ」と言われた。
「退院したら、ぜひ、アルバイトで良いから働いてほしい。それはあなたを自由にする」と言われた。
「入院してしまったら、正社員として、働くことが絶望だ」とわたしはどこかで思っていた。
正社員はとにかく素晴らしくて、それだけで、人間的な価値も認められるに違いないと思っていた。
実際には、社内で人間的価値を認められることなどなかった。よく考えると当たり前だ。仕事をしにいっていたんだから。
それに、人間価値を誰に認めてほしかったんだろう。今となっては漠然としすぎていて、よくわからない。
世間の人に、ということなんだろうけれど、今まで、世間の人たちは、わたしにとって、敵だった。
敵に認められて嬉しいんだろうか。他の何もかも犠牲にしてまで、認められたかったんだろうか。
世間の人が何をしてくれるわけでもないのを知っていたのに。
世間の人が敵だったから、そして、自分がどこかで異端だと思っていたから、普通の顔をして世間に紛れ込みたいと願っていた気持ちもあった。
退院して、フルタイムで働くことができないとわかった。正社員の仕事も見てみたし、履歴書も送ったけれど、自分でもそこで、日夜を惜しんで、会社のために働く自分が想像できなかった。
新しいものやサービスを作り出すことに情熱を傾けられそうにもなかった。
そもそも、三時間起きているだけで、体力を使い果たしてしまうし、人と一時間会って話すだけで、ぐったりして、朦朧となってしまう。
根を詰めて物事を考えることなんて、遠い夢のまた夢だった。
一日八時間働いて、次の日も働いて、と、永遠に繰り返して六十五歳になることを改めて考えるとめまいがした。それが当たり前だとはいえ、わたしはそれに一生かけるほどの覚悟はなかった。それどころか、一日すら持たないような気がした。
わたしは、できることをすることにした。失敗しても良いから、失敗して失うことはないからと思って、できること、できそうなこと、やりたいこと、やってみたいことをすることにした。
日銭を稼ぐスタイルになることに幾ばくかの恥ずかしさは感じたし、同窓会では失笑された。
でも、そんなことはかまわない。同窓会で、自慢できる仕事についている人だって、同窓会で自慢するくらいしか、良いことがない毎日なのかもしれない。だから、わたしを笑ったのかもしれない。それとも、誇りの持てる仕事で、しかも、地位が高い仕事だから、自分の幸せを改めて知って、笑ったのかもしれない。異世界すぎて、思わず、顔が笑った形になってしまったのかもしれない。
そこのところは、実際にはわからない。
でも、わたしは、自分の幸せを確認するためだけに、誰かをバカにして、笑うような人間にならずに済んでよかったと思った。
わたしのところまで、降りて来たとき、その人たちは苦しむだろう。
降りてくる可能性はいくらだってある。
みんなが思っているほど、日常というのは盤石じゃないから。
だって、ずっとその場所に居続けられる保障なんて、どこにもないのだから。
だから、日銭を稼げる人の方が、本当は強いんだ。細やかに、立ち回れると言うことだから、どこででも生きていける。いやなことやストレスを避けて生きていける。
生きていくことに関しては、その方が強い。
わたしは、実際のところ、毎日が楽しい。誇り、というとおおげさだけど、直接に目の前の人が笑ってくれる仕事というのは、とてもよいものだ。
日銭を稼ぐだけのスタイル、というと、不安定だけど、それが最初からわかっているのだから、最初からその準備をすれば良い。
わたしは自動車を買わない。駐車場料金や税金やガソリン代などの維持費を使うくらいなら、自分の楽しいことに使いたいからだ。でも、そのかわり利便性の高い街に引っ越しをした。
あれもできない、これもできない、立場があるから、というのをとって払うと、ずいぶん自由なんだとびっくりした。
正社員になれないから、あきらめた。きっと面接にも通らないし、人間関係でつまずく。わたしは、人間関係が苦手だし、協調性がない。環境にもわがままで、大人の男性が苦手だ。そして、会社にはたくさんの男性がいる。
あきらめたとたんに、人生が開けた。
一日三時間働くだけでもいいんだし、それで足りなかったら、掛け持ちしても良い。
違う仕事を混ぜてやるのはけっこう楽しい。気晴らしになる。
わたしは単なるアルバイトだけど、良い接客ができたり、お客さんが微笑んでくれたり、ありがとうと言ってくれたり、失敗に対して鷹揚にかまえてくれたり、新しい商品を喜んでもらうと、人間の素晴らしい一面に触れられた気がして、とても嬉しい。
接客をしていると、人間って、案外良いものだな、と思う。
働くというのは、人に喜んでもらって、お金をもらうことなんだ。
と、真実思えたのは、わたしの人生観の形成に大きく影響した。
わたしはそれまで、給料は我慢料だと思っていた。できれば、自分のしたい仕事に就きたいと思っていた。
それは、わたしに関しては間違っていた。給料は我慢料じゃなくて、お客さんが喜んでくれたことの対価だし、したい仕事に就けていたけれど、向いていなかったらちっとも楽しくなかった。
わたしは人が好きなんだと最近思う。
日銭を稼ぐスタイルはとてもあっている。
難しいことを考えなくていいし、時間が来たら仕事場を離れて、さっと自分の時間に切り替えられる。
家に帰ってまで、いやなことを持ち越さないですむ。
昔、正社員だった頃は、会社であったいやなことをいつまでも考えていた。
今思うと、本当に無駄だった。
それをやっていると、楽しむべき人生の時間はどんどん減っていくし、考えたところで、会社であったいやなことは減少しない。そればかりか、疲れが負のスパイラルを招く。
今は時給の仕事をしているから、さっと帰れる。
自分の裁量でできることも、小さなことだけど、ちゃんとあって、自分の判断が当たって、商品が売れるととても嬉しい。やったぁ、と思う。
働くのは疲れるけれど、とても楽しい。
給料が我慢料だと信じている人生は真っ暗だ。お金が良いかもしれないし、人生の保障がしっかりしているのかもしれないけれど、老後を迎える前に、ストレスで死にたくなったり、病気になってしまったら、本末転倒だ。
それだったら、自分の人生のリスクをちゃんと知った上で、日銭を稼ぐ仕事をするのも、人生の根本に立ち返ることになる。
わたしは、早朝と夕方に働いている。だから、日の当たる時間は自由にのんびりできている。
仕事の楽しさと、余暇の楽しさを両方味わえている。
これが幸せなのか、自由ってこんなに甘い味がするのか、と思う。
スイカみたいにおいしい。
牡蠣に当たって、寝込んでシフトに穴をあけた翌日、いつもキツい人すら「大丈夫だった?無理しないでね。良くなってよかった。心配したよ」と言ってくれた。
店長もオーナーも「何かあれば電話してくれればいいからね、大丈夫だからね」と言ってくれた。
コンビニのオーナーや店長は、すごく苦労して働いているせいか、人の心がわかる、とても優しい人たちだ。
なんて、良い世界なんだろう。
正社員の頃は、こんな優しい言葉をかけてもらえなかった。
やって当たり前、できなかったら責められる、できても遅いとなじられる。そんな世界だった。
コンビニの場合は、仕事を辞めた後もお客さんになる、という特殊な事情もあるし、人不足だから、辞められると困るということで、人材をとても大事にするという事情があるのだけど、それでも、こんな風に、「あなたはとても大事な人だ」というメッセージを受け取るのはとても感動する。
一緒に働いている人も交代のときに、「元気?」「疲れてない?」「具合悪くない?」「今日もがんばれー」と声をかけてくれる。
仕事も、教えてもらえる。
正社員の頃は、こんなに仕事を教えてもらえなかった。
自分でやれ、調べてやれと放り投げられて、無為に時間を過ごしては途方にくれ、どうしてできないんだと、責められるばかりだった。
コンビニの仕事は、やるべきことがきちんと決まっていて、注意しなくてはいけないこともわかっていて、教えてもらえ、忠告もくれるし、時間で何をすれば良いのか、同じなので、とてもやりやすい。
そして、ときどきフェアがあるので、飽きることもない。とても楽しい。
正社員と違って、働けば働いただけお金が入ってくる。
それは確かに少ない額だけど、でも、役に立って、喜んでもらって、もらったお金、というのは、全然違う。すごく嬉しい。誰かをだましたりいやな思いをさせたりしてもらったお金じゃない。
誰かに喜んでもらったからもらえるお金だ。
わたしは日銭を稼ぐ楽しさを知った。人生が単純になった。今日、生きていくためのお金を稼ごう。嫌なことがあったら我慢しないで、次を探そう。そう考えたら、むしろ、何かが起きても、我慢する、ということすら考えずに、さらっとながせるようになった。傷つきにくくなった。
今日、生きていくお金を稼いで、欲しいものを買う。
明日、生きていくためのお金を稼いで、食べるものと着るものを買う。
明後日、生きていくためのお金を稼いで、家賃を払う。
人生がとても単純だ。単純なのは、良いことだ。
悩まなくて良い。悩むことが少ないことは、悪いことだと思っていたけれど、実際悩みがなくなってから、わたしは解放された。自由になって、いろいろなことができるようになった。できなかったことまで、できるようになった。自信がついた。良く笑うようになった。
こうあらねばならない、という固定観念から自由になって、わたしは自分自身を生きられるようになった。
誰かの望む人生ではなく。こうあらねば、というのは、誰かに植え付けられたものだ。
わたしは、本当の自分に近づいている。
自分を生きている。
正社員じゃないから、好きな場所に住むことができる。会社に近いとか考えないで、自分の住みたいところに住むことができる。好きなインテリアにできる。とても幸せだ。好きな服装で働ける。
太陽に当たって、ストレートに、人生の美しい甘さをごくごくと飲み干せていく。わたしは人間になった。
追記:二日で五万ビューでした。
スポンサーリンク
読んでいてすがすがしい気持になりました。
身内に物が心を病んでいて、あなたのようになれたらいいなと素直に思いました。
みんな将来の為というけれど、生きているのは今で、今が辛かったら将来なんてないも同然、あなたのように今を生きている人の言葉は素敵だなと思いました。
最後の一文、「人生の美しい甘さ」との表現素晴らしいです、文才ありますね。心から幸せを感じているんだなと分かります。うらやましいです。
通りすがりさん
コメントありがとうございます。
わたしは、精神を病んでいます。
病院にも通っています。
こうなるまでには、憎悪の期間や、焦りの期間、苦しみの期間がありました。喪失に苦しんだこともあります。
将来のためと言うけれど、今生きていることを大事にしたいと思います。
文才があると褒めていただけて、とても嬉しいです。
働ける日が再び来るとは思わなかったので、働けることが何よりも嬉しいし、幸せです。
伝わったことがわかって嬉しいです。
感想をありがとうございました。
また、お越し下さいませ。
今、失職していて、再就職活動をしています。なかなか決まらず、さりとて夢もなく、イライラキリキリしていて、「もう死んだほうがいい」と思っていました(現在も)。
この文章を読んで、自分の認知の歪みに気が付きました。まだ、前向きになれませんが、どうにか生きようと思います。
ありがとうございます。
同じような悩みを抱えて、苦しんで亡くなった友人が居ました。
あなたの昔のように正社員にとてもこだわりが強くて、でも病気の所為でうまくいかなくて。
こんな風に考え、生きることが出来るあなたはとても素晴らしいです。
この文章を見せてあげたかった。
「自分のために生きる」「自分の人生を好きになる」
簡単なようでなかなかできないことですね。
自分を肯定することで周りが美しく見えてくる。
あなたの生き方、とても素敵だと思いました。
この文章に出会えてよかったです。
私は1度失職してから再就職活動をしているものの、なかなか結果が出なくてかなり落ち込んでいたんですが、貴方のブログを読んで「正社員にならなきゃ」と思って焦って、他の人を羨んでいたことに気づきました。失職期間が長引けばなかなか履歴書を見てもらうことすら出来ないのに、変に意気地になって勝手に落ち込んでいたことを自覚出来ました。
自分を肯定するのは難しいけど、私も貴方のように考えられるような人生を送ってみたいと思えるようになりました。
本当にありがとうございました。
ルーティンになりがちな日常で忘れかけていた大切なことに気づけた気がします。
素敵な文章をありがとうございました。
これからも拝見させていただきたいと思います。
私は今、お休み中です。
まだ次の仕事は見つかっていません。
でも以前正社員だったころの苦しみというか、思い込みというか、については何となく
分かります。
自分と似た考えを持つ方がいることが分かり、嬉しく思います。
またお邪魔させてください。
おばけうさぎ (id:danae219) 様
就職活動はたいへんですね。自分を否定されてしまいます。
でも、意外となんとかなる、って最近思いました。昔は死んだ方が良いと思っていたのですが、なんとなく最近思わなくなりましたね。またきてください。
id:x805xx72937 様
亡くなった方は御愁傷様でした。
考え方が固まっていると、とても生きるのが大変だなと思います。わたしもまだまだ固まっているところがあるので、ほぐしながら生きていきたいと思います。
インディヴィデュアル様
わたしは、社会的地位への焦りや、不安でどろどろしています。この文章はいわば、上澄みです。
肯定に至る歩みは簡単なものではありませんでしたが、今があって良かったと思っています。
とても共感できます!言いたいことを分かりやすく言ってくれて、気持ちが楽になりました。本当にありがとうございます。
正社員じゃないなんて死んだも同然だと思っていました。その気持ちさえ気付かず、それが正しいと思っていました。そして、こうして言葉にしてくれなければ客観的に考えることが出来ませんでした。
個人的なことで申し訳ないのですが、最近また就職活動をしようとしています。このタイミングにこの記事を発見できてよかったです。再び自分を苦しめることががないよう、ブックマークさせてください。よろしくお願いします。
奏 (id:rabbit732)様
正社員になるのは、今はたいへんな時代です。
正社員になれれば、それにこしたことはありませんが、ある一定の人は、正社員に慣れません。
わたしは、はっきりあきらめて楽になりましたが、勧めているわけではありません。
考え方を自由にしていると、開ける道もあると感じています。
仕事との良い出会いがあるとよいですね!
まるさま
どんな仕事もルーティンから逃れられません。そして、ルーティンは仕事の根幹を支える大切な仕事です。
ぜひまたお越し下さいませ。
窓際課長 (id:madogiwak)様
仕事が決まっていないことほどつらいことはあまりないですね。
体と心を休めながら、良い選択とご縁があると良いですね。またいらしてください。
同じく発達障害をもち、公務員を辞めた後、紆余曲折を経て派遣で働いている者です。様々な苦しみや葛藤を経て今の境地に至られるまでのあなたの思いが、自分と重ね合わされ、心に深く届き染み渡りました。
過去や自分に無い物にとらわれず、今、この時を軽やかに笑って生きていきたいものです。
応援しております。素敵な文章をありがとうございました。
読みながら号泣しました。何と戦っているかは判然としませんが、人生は戦い、なんだなあ、って最近思います。人間というくらいだから、回りの全てとの戦い。オヤジになっても続きます。もうこれはどうしようもないことなんですが、そうと割り切れない部分もあって、つらいです。んが、その中で喜びも楽しみもあります。出来たらその喜びや楽しみを誰かと分かち合いたいのですが、まあ、それは高望み、かなあ。
【ここへ感想をお書きになっているみなさまへ】 みなさま全員にはてなスターをつけることができませんが、みなさん、ダイジョウブ。目の前にあること、ある人、を忘れずに、各個撃破していきましょうぞ。ちうかね、オヤジになっていても、続くんだなこれが。あきらめとも投げやりとも違う気持ちで、毎日を過ごしましょう。
uti様
就職活動をはじめられるのですね!
おめでとうございます。
つらいこともあると思いますが、その気持ちが素晴らしいです。
わたしはたいしたことを書いたつもりではいなかったのですが、文章がわたしの手を離れて、あなたにこうやってよいものを手渡せたのを喜ばしく思います。
こちらこそ、嬉しい感想をありがとうございます。
通りすがりの発達障害様
コメントありがとうございます。
わたしにも憎悪と焦燥の時期がありました。今の気持ちになるのは簡単ではありませんでした。
そこを読み取ってくださってありがとうございます。
わたしは、病院で、「過去には戻れないから、過去のことを考えている間に現在が進んでしまう。だから、今のことだけ考えて生きてね」と言われました。
お互い、今を生きられたら良いですね!
素敵な感想をありがとうございました。
id:AQIRA 様
コメントありがとうございます。
二つのコメントを合わせてお返事させていただきます。
目の前にあることを、良いことでも悪いことでもひとつずつこなしていくこと、あまりにも先のことを考えて暗くならずに生きていくことは、生きるための技術として必要なんだなあと最近思うようになりました。
苦しいこともありますが、楽しいこともありますね。
人生は戦いの連続ですね。
でも、やっぱりどこかどこかで、少しずつ喜びや苦しみを、お互いに分かち合っているんじゃないかなあと思います。
リアルで友だちが少なくても、インターネットもあります。
いろいろな形がありますね。
感想ありがとうございました。嬉しいです。
こんにちは。
以前も別記事で拝見しておりましたが、
c71さんの語り口は心にすんなり入って来てとても好きです!
私も今メンタル休職中で元の職場に戻ろうか悩んでいましたが、
確かに戻るとお給料が「我慢料」になってしまうなと思い、この後の方向性が定まった気がします。
私も人になるために動いていきます。
良いキッカケになる記事ありがとうございました!
id:yuma7 様
コメントありがとうございます。
以前も別の記事をご笑覧くださったのですね、ありがとうございます。
わたしの文章は独特だと言われたのですが、自分では読みやすく書いているつもりです^^
すんなりということは、わかりやすかったでしょうか?それだったらよかったです。
わたしが何か言えることは何もないですが、無理せず、体に気をつけて静養してくださいませ。
社員を目指してアルバイトをしていた者です。失敗続きで頭痛ばかりになり、アルバイトをやめて小さな日雇い仕事をしてます。
不思議なもので今までなかった充実感があります。でもたまに非難されて獣にもどりそうにもなります。まだ何かが少し不安定なようです。
文章を読んでいて応援をもらったような気持ちになりました。自分もこれでいいのだと、確かめることができました。
ありがとうございます。
今、すごく気持ちが楽です。
こんばんは。通りすがりに読ませて頂き、共感しました。
私も発達障害を持っており、昔から色々な事が他の人よりも出来なくてずっと苦しい思いをしています。
何とか4年制大学もストレートに卒業しましたが、新卒採用を勝ち取れず、地元に帰って細々と契約社員の仕事などをしながら稼いでいます。
一度は正社員で採用してもらえたのですが、発達障害の影響か小さなミスを連発してしまい、試用期間で解雇となってしまいました。
(続きです)ものすごく落ち込みました。それからはまた地元の県庁の臨時職員をやっています。正社員の頃は、常にビクビクしながら仕事をしていて、全く心の余裕がありませんでした。今は働ける期間が限られていますし、お給料も少ないですが、正職員の方々と和気藹々としながらのびのびと仕事をさせて頂いています。ミスも多いですが、小さな事でも、作業が遅くてもお手伝いをして「ありがとう」と言われる事がとても嬉しいです。
周囲の友人たちは、ほとんどが正職員で何年もきちんと働いており、いつも仕事の話題になると物凄く劣等感を感じます。彼女らは社会に認められているけど、自分は違うんだ、出来損ないなんだと思い知らされます。
でも、この文書を拝読して、私は今、自分らしく仕事ができているんだ、このままでいいんだと少し思えるようになりました。10月いっぱいで今の仕事は終わってしまい、それから先の事を考えなければならないと思うと、とても気が重いです。まだ新卒扱いですが、正社員は諦めています。正社員ではなくても、新しい仕事を見つけたら、精一杯できることをやっていこうと思います。
この文書に出会えて本当に良かったです。ありがとうございました。
TAさん
たいへんでしたね。
わたしも正社員をあきらめるまでには、人を憎んだり、うらやんだり、どうして自分ばかりこんな目に遭うのだろうかと思ったりしました。
わたしは、先のことを考えすぎずに、今を一生懸命することで見えてくるものがあるんじゃないかと思うようになりました。
もちろん、異論がある人はたくさんいると思います。
でも、そうとしかできないんだったら、それを精一杯楽しみたいと思います。
わたしも不安定になります。
でも、良いときもあります。
お互い楽しく暮らしましょう。
れいさん
コメントありがとうございます。
ミスが連発は、つらいですね。
自分がだめな人間じゃないかと疑ってしまいますね。
でも、合わないものにであったら、工夫するか逃げるかしかできないのだと思います。
社会的地位や、劣等感と戦うのはとてもしんどいものです。
れいさんはお若いようですが、アラサーになると、正社員で働いている女性も、新たな悩みが出て来たりするので、正社員でありさえすれば幸せかと言うとそうでもないようです。
結婚したかったり、仕事を辞めたり、いろいろです。
自分なりに精一杯がんばると気持ちがよいですね。そして、それが多少遅い仕事でも感謝される環境と言うのは得難いものです。
本当に良かったですね。
先のことは心配しすぎず、楽しく過ごしていたら、周りに良い人が集まってくるような気がします。
だから、今を楽しく過ごしていただけたらいいなあと思いました。
わたしも、新卒での就職はあまりうまくいきませんでした。
とてもつらかったです。
でも、せっかく正社員に新卒で入っても辞めてしまう人もいるし、それはそれで挫折感が強そうだし、たいへんなシチュエーションはたくさんあるようです。
私も「こうあらねばならない」という思い込みが強く、しかし、うつ病や障害(の可能性を示唆されております)という状況、かつ常人より記憶力が低いと診断されている状況で、それが実現出来ない状況に陥っていて、がんじがらめになっています。
そして、いつになれば治るのか分からず、治療費ばかりが出て行く日々。焦るばかりです。
そうした境遇から、固定観念ろ焦りという2点について強い共感を覚えました。
(正社員に対する憧れやフリーターへの偏見、プライドなど)
固定観念や焦りから脱すること(諦めること)が出来たきっかけなどあれば、お伺いしても宜しいでしょうか。
加糖様
コメントありがとうございます。
こうあらねばならない、という気持ちがあるとつらいですね。わたしも長い間苦しみました。
先も見えないですし。
わたしの場合は、自分がどん底になって、最低だとしか思えなかったときに、働いたら良いということばが素直に響きました。
わたしの長所は素直さらしいのです。
入院して、入院は、最低の経験ではなく、むしろ最高の経験だったのですが、それの一連が、わたしの偏見を打ち破ったと思います。
ほかにも、つらい経験を通して、固定観念がわたしを幸せにしたか、他の人と足並みを揃えることが、自分を幸せにするか、とことん考えた結果、どう考えても、そうじゃないことがわかりました。
だから、自分でできそうなことをしようと思い、そしてしました。
お金が入ってくると、だいたいどうでもよくなります。好きな服でも買って、着るだけで、わたしは結構幸せになります。
ひとつの選択で人生がまるごと幸せになるってことは多分なくて、小さな選択が自分を小さく幸せにする、その連続が、幸せな期間を長くすると考えました。
だから、できないことを願うよりも、できることをしようと思いました。
そして、働くことになれたら、憧れの正社員になることも目指せるのではないかと思いました。
プライドについては、綺麗な服を着たり綺麗な化粧をしたりしたり、そういう卑近なことをじっくりやること、マッサージに優雅に行くことで解決しました。プライドなんかよりマッサージの方が気持ちよいです。
すごく心に染み入るおはなしでした。私も精神障害があり、正社員で働くのが辛くなって派遣社員として働いています。世間的な価値観から解き放たれていたいと願いつつも、心のどこかで派遣社員という肩書きに引け目を感じる部分もあって、自己嫌悪と葛藤の毎日です。自分の葛藤はそう簡単には消えないけど、この記事を読んで、悲しみに浸りすぎず、ちゃんと生活していこう、という気持ちになりました。すごく辛い気分のとき偶然この記事を見かけて、なんというか胸にいっぱい新鮮な空気が入ってきたようなきもちになりました。何回も何回も、この記事に読みいっています。また来させてください。
peetang (id:osenpe) 様
すてきなコメントをありがとうございました。
わたしの記事で、少しでも気分が良くなったならこんなに嬉しいことはありません。
わたしも、こういう記事を書きながら、社会的地位がほしいとか、自慢できるものがほしいとか、思います。
でも、それはもっともっとと、続くものだと言う気もしています。
精神障害があって、働くのはとてもたいへんです。そういうハンデがなくても、働くのは大変です。
大人になって良かったことのひとつは、悲しみを切り替えられることです。
ちゃんと生活するのは思ったより大変ですね。栄養バランスをきちんと取るだけでもだいぶ違う気がしました。
またおこしくださいませ。