言葉が飛んでいく

わたしの言葉が飛んでいく。
誰かの心に飛んでいく。

わたしはその行き先を知らない。言葉がどんな役割を果たしたのかも知らない。

この二日で、五万回もブログを読みに来た人たちがいた。
わたしの人生では初めて起きたことだ。

わたしはいつものように過ごそうと思っているけれど、それがなかなか難しい。
わたしの言葉に反射して、誰かから飛んで来た言葉がわたしの心に突き刺さる。

言葉が飛び交っている。誰にも会っていないのに。

不思議な感じがする。
こんな経験は初めてだ。
一週間前、二万回読まれたときに、こんなことはこれで一生に一度で最後だと思った。
でも、また起きた。

わたしは何も変わっていないのに、こうして変化が訪れる。

読んでほしいから書いている。読んでもらえるのは嬉しい。
その一方で飛んでくる言葉に怯える。
優しい言葉にほっとする。
でも、わたしの言葉はそんなに大層なものじゃないのに、とも思う。戸惑う。

言葉はいつも自由なんだと思っていた。
自分の思ったことをひたすらに書いているだけ、それだけなんだと思っていた。
でも、読む人の人数が増えると、それだけでは受け取られないんだと思った。

今日は、仕事が早く終わった。暑い日で、移動が大変だった。
わたしは二つの仕事を掛け持ちしている。
休憩を挟みながら働くのが合っている。

社会保障も何もないし、わたしを守ってくれる組織もない。
わたしは組織を利用するほど器用な人間ではないし、病気だから、たくさんは働けない。
文章を書くのは単なる趣味だ。
わたしに何かを期待する人なんていないと思っていた。
でも、ここまでたくさんの人が集まると、期待する人がいるのではないか、期待に応えなくてはいけないのではないか、そんな錯覚にとらわれてしまう。

でも、わたしはわたしだ。
わたしがわたしのままでいたから、人が集まって来たのだ。

だから、期待に応えなくてはと思ったとたんに、わたしが果たせる役割は失われてしまう。

心細い。
落ち着いて、身の回りのことを大切にして過ごしたい。
今まで見て来たことを大事にしたい。
変わらずにいたい。それがわたしにできることだと思う。
言葉ばかりの世界に溺れてしまっては、からだが存在することを、忘れてしまう。
わたしには体がある。
手足がある。どこにでも行ける。
わたしは言葉だけじゃない。
なんだってできる。

言葉が飛び交っている。
優しい言葉も、矢のような言葉も。
いろいろな気持ちがやってくる。
波のように打ち寄せては還っていく。
わたしはその波打ち際で一人立ちすくむ。

c71の著書

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