優しい獣

みぞれのアイスを食べ過ぎた。
それはまあ良いとして、ダイエットの道は遠い。

朝二時に起きてしまった。睡眠薬を飲んでから、きっちり三時間で目が覚めるのは改善してもらわないと、困る。具体的には体調が悪い。

コンビニのアルバイトはとても楽しみだ。一緒に働いている人は皮肉で、ずるくて、とても優しい。わたしは甘やかされている。ああいう風に年を取りたい。利用できるものは利用して、不正を働いても、人に対して優しい。

軽トラさんから花火大会のお誘いが来た。
これは浴衣を着ないといけない。がんばって着よう。

日曜日のことが決まっていなかったので、日曜日誘ったら、喜んでいた。今度の日曜日は丸一日休みだ。

わたしは丸一日休みと言う日があまりない。コンビニと、塾講師を掛け持ちしているからだ。
塾講師は完全歩合制なので、稼ぎが良いときは良いけれど、悪いときにはないので、安定して稼げるコンビニは、時給が安くても助かる。それに、コンビニと言うのは、発達障害のわたしに取って、非常に高いハードルで、これが越えられると、普通の人と同じになれると思って、とても安心する。複数の仕事を同時にしないといけないから。

最近、キャベツの千切りができるようになった。
快挙だ。とても嬉しい。お皿も食べたらすぐに洗えるようになったし、今のところは、洗濯物も自分で干して自分でしまっている。
今できないのは、掃除機をかけることだ。音がうるさいから苦手なのだ。

今日は、精神科に行った。
工夫をしましょうと言う話だった。
わたしは健康のためにあと十キロ痩せた方が良いから、頑張りましょうとのこと。
自分を追いつめるのではなく、工夫をすることで、目標を達成した嬉しさを感じてほしいから、と言う話でした。
過食は、食べ過ぎたいと言う気持ちよりも、早食いをするから起こるのではないかと話し合った。
それから、ブログがとても評判が良いこと、前に、先生に渡したミニコミはどうだったかを聞いた。

最近は、眠ってから三時間で、目が覚めてしまう。
それと下痢が止まらないので、薬を少し変えてもらった。不眠時のルネスタが二ミリだと、朝に残ってだるくてしかたがないので、0.5にしてもらった。

軽トラさんは、日曜日、わたしが行きたいところだったらどこでも良いと思う。
自分から誘うのはだるいし、デートコースを考えるのは面倒だ。
でも、わたしが好きな場所を彼に伝えたい。彼も私の好きな場所を知りたいのだと思う。
だから、連れて行こうと思う。

獣になりかかったわたしのことを心配している人たちがたくさんいるから書くけれど、わたしは仕事を掛け持ちしている。塾講師とコンビニアルバイト。コンビニアルバイトは、少なくても定収入を持つこと、社会性を育てること、朝眠りが浅くて起きてしまう時間を無為にはなく有意義に使いたかったからはじめた。暇だと、悪いことを考えてしまう。

塾講師の収入が基本になっているけれど、多いときと少ないときとで、差が二十万円くらい開いている。だから、貯蓄がかかせないし、わたしは貯蓄が苦手だ。これは越えるべきハードルだ。
それでも、お金を使うことは、あと一年は自分に許そうと思っている。
ただし、健康保険と年金の支払いがどかっと来るのには毎回びっくりする。織り込んでおこうと思っても忘れる。

わたしは勉強と説明が得意で、だから塾講師になれた。塾講師は時間あたりの時給が高い。定期的に雇われているわけじゃないし、かといって日雇いでもないけれど、アルバイトのように決まった時間で行くと言うよりは自営業に近いスタイルだ。

わたしは実は不動産を欲しいと思っている。
中古のマンションを買いたい。
そうしたら、老後、住むところが残る。月々三万円くらいの支払いで、二十年ローンだったら買える。
ただ、わたしが審査を通るかわからないけれど。
だから、コンビニで頑張る。
家賃を払わなくて済んだら、先々楽になる。少ない収入でも暮らせる。
それはとても良いことだ。

だから、わたしは本能的に暮らしている一方で、生き残るために必死に、大きく戦略はたてている。
わたしが嫌々働いていた頃、きっと、自分のために不動産を買うことは思いもよらなかったと思う。守られていたから、自分を自発的に守るための決断ができなかったのだ。

わたしは、シュウカツデモで、「普通の暮らしがしたい」と訴えて、ジャパンタイムズに載った。恥ずかしいけれど、ジャパンタイムズに載る経験は、普通ないので、自分の表現できることをして良かったと思う。シュウカツデモにはたくさんの問題があったけれど、今、デモが当たり前になったその走りに参加できたのは良かった。

自分のことばかりを考えていると、自分勝手だとそしられそうだけれど、結局のところ、幸せそうに生きていたら、周りも心配せずに済むから、お互いの手間が省けてとても良いことだと思う。

わたしは、他人のために幸せでいることを目標に置いたけれど、ゆくゆくは、わたしが幸せそうだと家族が喜ぶから幸せでいたい、と思うよりも、後ろめたさを完全に捨てて、自分が仕合せだと自分が嬉しいから自分を幸せにする、となりたい。

結局のところ、自分の味方になってくれるのは自分だけだ。

仕事でミスをして、自分をどんなに責めても、なにも変化しない。
だから、怒られても、けなされても、自分だけは自分の味方でいたい。

それが難しかった今までだった。
自分の良いところが見えなかった。今も見えないけれど、なくてもねつ造してしまう。ねつ造しても誰にも迷惑はかからないし、かかったところで知るものか。

そんなわたしを愛してくれる人がいないとしても、いなかったらなおさらそうするだろうし、でも、実際には楽しそうにしていると、人が集まってくれる。孤独にはならない。

c71の著書

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