私を包み込んでいた、他者の存在しない膜のなか – よもちかブログ
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自閉の方のブログより。やっぱ痴漢の膜の話は自閉っぽいですよね?
— ジルコニア@Ship4 (@fg5746) 2014, 8月 25
誤解を招くことは言わないでほしい。
空気読まない迷惑なやつにアスペと言いさえすれば済むような風潮が終わったのに。
自閉症スペクトラムのよもちかさんが内省した文章を利用しないでいただきたい。
自閉症スペクトラムの人でも膜が薄い人はいる。
そう言う人は他人に関心がないから、他人に期待しない。
自分は自分、他人は他人で、きっちり分かれている。
膜は、自他の区別がつかないだけでなく、期待が関係しているとわたしは考えている。その考えで書くと自閉症スペクトラムの人が膜が強いと言うのは誤解だ。
自閉症スペクトラムの人が、自分自身「全体」を振り返って、書いたことをその一部の属性だけで判断しないでほしい。
自閉症スペクトラムというのは、わたしの一部だけど、全部じゃない。
わたしにも良いところはある。それは自閉症スペクトラムの影響があるかどうかわからないけれど、それを含めてわたしだ。一部ではあるけど全部じゃない。
「痴漢の膜は自閉っぽいですよね?」について。
息子の障害が判明した頃「自閉症スペクトラム」って概念では自閉を濃淡で表現していた記憶がある。
「一般成人男性は、一般成人女性と比較して、自閉度が濃い」という表現がされていた。
「感情が理解出来ない」と「共感性の欠如」と「膜」を考える。
— 佐川・抜け首・なん (@nankuru28) 2014, 8月 25
この人も膜=自閉を肯定している、ように見える。
息子さんが、自閉症スペクトラムのようだが、この人が言っている「膜」とわたしが考えている膜、とは考えが違いすぎて、どうともいえないのだけど、この人の意見を放置していくと、わたしはとても困る。
息子の内面で何が起こったのかを知る術は、彼の行動の変化や言葉等から推し測るぐらいしかできないのだけど。
後に彼は「ママがママと分かったのは5歳の時」と明言していた。
「それまでは?」「ジャマスルモノ」
息子にとって「私の顔」と「私の手」は別のモノで「ママ」ではなかったのだよ!
— 佐川・抜け首・なん (@nankuru28) 2014, 8月 25
この意見では息子さんの内面は推しはかるしかないと言っているのだけれど、
膜の濃淡で語るなら。
膜が濃い人の特徴は
「その人個人の意志を想像していない」
「パーツや所属で他人を語る」
そして
「己の心情を己の言葉として語るのが苦手」
が挙げられるだろう。
「他者の存在が希薄なので、比較検討が出来ず、結果として自分の輪郭をハッキリさせられない」悪循環。
— 佐川・抜け首・なん (@nankuru28) 2014, 8月 25
この意見は矛盾している。自閉症スペクトラムというのは、わたしのパーツのひとつだ。ツイートを少ししか読んでいないけれど、自閉症スペクトラムというひとつのパーツで判断してるのは、彼女自身なのではないか?自分は自閉症スペクトラムではないのに、さも、自閉症スペクトラムの人の内面がわかっているように、代弁しているように読める。それはおかしいのではないか?
自分には膜がないかどうか考えもしないで、自閉症スペクトラムに押しつけないでほしい。
自分は潔癖なつもりなのか、自分が関係ない何かだと思っているのだろうか、自閉症スペクトラムを。
自閉症スペクトラムはグラデーションだと、他のツイートでも言っているのに、理解に苦しむ。
彼女自身は、自閉症スペクトラムのことを息子さんを観察した限りでしか知らないのに、自閉症スペクトラムの人は膜が強い、と一般化してしまっている。
わたしにとって、自閉症スペクトラムのことは一部だ。全体ではない。パーツだ。
また、わたし自身は膜が強いと自覚しているけれど、健常者の人が、内省しているブログをまだ読んでいないから、それは検証できていない。
今のところ、自閉症スペクトラムだから、膜が強い、というわけじゃなくて、自閉症スペクトラムの人が、たまたま、内省し、文章を書いている。だからこの誤読が生まれたのだと思っている。
わたしは、健常者の人が、自分自身を内省しないで、自閉症スペクトラムの人が誠実に書いた文章に、乗っかる言説を振りまいているのが、不愉快だ。
それ自体が「膜」なんじゃないか?膜を人ごとだと思って、自閉症スペクトラムの人に現れるものだと思っていることが。自閉症スペクトラムの人が反省して書いたことを利用して、自分には関係がない、自分の周りの自閉症スペクトラムの人、子どもも、そうだ、と言うことが。危険にも気がつかないで。無防備に。
わたしはとても怒っている。考えもしないで、利用しないでほしい。
yomcka.hatenadiary.jp2 shares3 users7 pocketsお探しのページは見つかりませんでした。 - はてなブログhttp://yomcka.hatenadiary.jp/entry/2014/08/23/094135
これを読んだのなら、
yomcka.hatenadiary.jp3 pocketsお探しのページは見つかりませんでした。 - はてなブログhttp://yomcka.hatenadiary.jp/entry/2014/08/25/083349
こちらも読んでほしい。
膜が自閉症スペクトラムの人に現れるのではなく、内省しない人に現れるのがよくわかるから。
自分には膜がない前提で話している人ばかりだ。
自分の膜を指摘しないで、他人の膜ばかり指摘している。
膜と言うものが、どういうものかもよく考えないで、膜が何か、自分には何か、わかっているとばかりに話している人が多すぎる。
自分自身の膜について書けば良い。
自閉症スペクトラムの事例は個々で大きく違う。ただでさえ、誤解されがちな自閉症スペクトラムの話を、一般化するのは危険な話だ。個別の話は個別の話だ。一般化しない。自分語りをすれば良いと思う。それが一番安全だ。
自閉症スペクトラムの人は行間が読めないって言われているけれど、率直に読むから、文章を書くのも読むのうまい気がする。
他人の個人的な内省の話を、上から分析したつもりで、一般化して、病気の人をこうだと決めつけるのはいかにも危険すぎる。勝手に上下関係を作らないでほしい。
上下関係は、治療に必要なときに絞ってほしい。
それは、専門家がやることだ。世間話を一般化する素人は百害あって、利益なしだ。
一連の流れ、すごく考えさせられます。私は自分にも膜、があると感じていて、その膜は時を経るごとに性質が変化してきています。自分の膜のことを考えて、文章にまとめて考えてみようと思いました。でも、あの文章を読んで 膜=自閉スペクトラム特有、という認識をする人もいるんだなーと、それが意外でした
誤読しようがない文章だと思うのですが、残念ながら、「自閉症スペクトラムの人が書いている!」って飛びついてしまう人がいるんだなあと思いました。