- 作者: ルディ・シモン,牧野恵
- 出版社/メーカー: スペクトラム出版社
- 発売日: 2011/06/08
- メディア: 単行本(ソフトカバー)
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アスパーガールなどを読むと、才能にあふれているのが、当然、みたいな気持ちになって、「わたしには才能が全然ない…」と思います。
たぶん、アスパーガールは、外国の本なので、日本と違い、些細な特徴でも、特長と言い換えて、それを才能だと思っているんだと思います。
でも、日本の人は、自分に対してそれほど肯定感を持つ習慣がないから、「わたしはそんな風に才能ないよ」と思って、アスパーガールを読んでがっかりしてしまうのではないかと思います。
一口に発達障害と言っても、人によって、ほんのことが当てはまったり、当てはまらなかったりします。
わたしはそれが面白くて、自分を観察して、これがそうか…と思うのが、近頃の楽しみです。
発見したのは、わたしは明文化されていないことの善悪がわからない、ということです。
たとえば、付き合っている人に言われたのですが、異性関係について、わたしはずいぶんおおらかだそうです。
わたしは男も女も違わない、人類だから、と思っているので、友だち関係が存在すると思っているのですが、彼は、「男が食事に誘うのは下心があるからだ」と言います。そして、自分で考えて、浮気にならないようにしてほしいと言いました。
異性関係に、おおらかなところがとても心配だと言われました。
わたしには、ちょっとその気持ちがわかりません。付き合っている人が女の人と食事に行ったからと言って、それが、即浮気になるとは想像がつかないので、行きたかったら本人の自由なのだから、行けばいいと思っていました。でも、何があるかわからないから、行ってほしくない、と思うのが正解なのだそうです。
そのことが、絶対に正しいとは思っていません。
思っていませんが、その気持ちを想像することが苦手だなあと思いました。
その気持ちがわかった上で行動できるか、そうでないか、鵜呑みにして言うことを聞くか、考えた上で、言うことを聞くかの四択があると思うのですが、わたしには、その辺の機微がわからないので、鵜呑みにするんだと思います。
そのへんが障害かなあと思います。
明文化されていない暗黙の了解について、「ものさしがそもそもない」というのが問題なのかもしれないです。
善悪がつかない、ということはないのですが、善と悪の中間で、相手の気持ちを考えて、折れることができにくいところが、わたしの障害の特徴だと話しました。
また、向こうの言い分だと自分に気がある男性を見分けることができていない、話し方が幼くて、可愛いと思われてしまうことに警戒心がない、というところが話し合いで得た、わたしの特徴みたいです。
自分の気持ちを抑えることはしたくないです。自分の気持ちを押さえ込みすぎて、言いたいことを言わない、言えない自分はもう卒業したいと思います。わたしは彼の気持ちを尊重したいけれども、会いたい人がいたら、会います、そうでなければ、会わないです。
彼はひとりで旅行に行くことも、「勝手にすれば」と思っているそうです。でも、わたしの「楽しみ」であることもわかっているそうです。わたしは、自粛しすぎて萎縮しないようにしたいと思います。わたしが楽しく思っていたら、魅力的になって、相手が苦々しく思っていても、結局はわたしが魅力的だったら、一緒にいて想ってくれるんじゃないかなと思います。
わたしは記憶力もテープレコーダ並みにあって、勉強もできて、集中力もあるので、才能がある方の発達障害だと思います。
疲れやすさ、感覚過敏、人との接し方が難しい、社会的なルールについて疎い、暗黙の了解についての物差しがないことなどが、障害です。
おとといの文学フリマで、わたしを自閉症にしては軽いと思った人もいると思います。
そう見えると思います。でも、わたしは自分ではそこそこ生きるのが大変だと思っています。
そして、良くしゃべるけれども、その社会的な価値のつけかたの物差しがないことは、見えにくい障害だと思います。そのことがとても不便です。
自分には才能がないと思っている発達障害の女性とも会話できました。
でも、わたしから見ると、とても若くてかわいらしい、そのこと自体が才能みたいなものだと思いました。そして、とても優しい性格でした。
日本人の場合、自分の良いところを謙遜してしまうから、アスパーガールのような、些細な才能も評価する、という本なのに、「でも、わたしには才能がないからこの本は合わない」ってなってしまうんじゃないかと思いました。
わたしは、人が読んでいて、こういうひともいるんだ、っていうサンプルになりたい。そんな文章をこれからも書いて、いろんな人と話したり、元気づけられたり、元気にしたり、できたら良いなあと思っています。
才能があってもなくても、大丈夫だし、発達障害の人はのびのび生きてほしいと言う話と、わたしには善悪を計るものさしがそもそもない、と言う話を書きました。それが障害だと思います。
できないことがあっても大丈夫です。できる人がやればいいし、できる人はそれによって、嬉しいはずだし、自分ができることがあることを確認できる機会になるんです。それを与える役をしていると思えばいいんじゃないかなあと思いました。
われわれのできないことは、目には言えないソーシャルスキルだったり、感覚過敏によって、できないことだったりします。
でも、それには引け目を感じないで、人間には得意不得意があると思えば委員じゃないかと思います。
不得意しかないよーという人もいるかもですが、良いところ探しの旅に出る良い機会だ、と思うのも楽しいかと思います。
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