けんかして思ったことを書きます。
けんかは楽しいということです。
アドレナリンが出ます。そして、疲れます。人とけんかしたい、勝ちたい、みたいな欲があります。
で、けんかする状態、というのは、やっぱり調子が悪いとか、攻撃的になっているとか、そういう状態なんだなあと後から思いました。
悪口を言われるのって、眠眠打破飲んで、目が覚めて、テンションが上がって、体が楽になったと思いきや、そのあとぐっと疲れが出るみたいな話だと思います。
悪口言われるとテンションが上がるし、楽しいです。
いやな気持ちになるんだけど、楽しい、ていうか、どんな風に言い返そうとか考えてしまいます。
いやなんだけど、ちょっと嬉しいし楽しい。そんな感じ。
だって、悪口言われても傷つかない。
だいたい、そうだなあ、と思います。
今はけんかしたくない気分です。言いたいことを言ったのですっきりしました。
言われたら言い返すのは不毛だと言われますが、ストレスをためない、という意味で、ある程度言い返すのは良いなと思います。でも、泥沼になると言うか、パターン化して、揚げ足取りになるのは、疲れるし、われながら恥ずかしいし、ちょっといい加減にしたいなと思って、昨日やめました。
またけんか上等になるかもしれませんが、しばらくはしないと思います。
それほど、悪口を言われても気にならないからです。
一瞬頭がかーっとしますが、けっこうすぐ忘れるなあと思いました。
あれだけ、ヒートアップしたのに、仕事して、抗不安の薬飲んで一晩寝たらすっきりしました。
言いたいことを言ったからかもしれません。
それと、誰も、言うのはやめた方が良いと忠告しないでくれたからだと思います。あのとき、忠告されていたら、抑圧されたと感じて、まためんどくさい展開になって、誰が味方なのか、実際わからなくなったんじゃないかなあ、と思います。そういうところがわたしの悪いところです。
脆弱性自体は悪いものじゃないと思います。人のゆらぎって、魅力になるときがあるからです。
コメントでけんか売る人は脆弱性が高いと思います。それで、言い返すのは脆弱性が高いと思います。
でも、けんかして、自分の中で納得するのって、ある種の成功体験だなあと思います。勝ち負け、ということじゃなくて。勝ち負けもよくわからないし。
侮辱されて、それを我慢するのって、「女らしいこと」とされています。わたしは女なので、そういうはしたないことは、やめたほうがいいことを暗黙の了解で察しています。現実では、損得勘定もあるし、あとで面倒なことになるのもいやだし、人の顔を潰して恨まれるのもいやだから、避けます。
でも、ネットでは、自分が女だと言うことを比較的忘れられて、言葉と言葉の応酬なので、殴られる心配も、とりあえずはなく、言い返せるので、ちょっと精神的に良い部分もあるなあと思います。
でも、やりすぎると、自分で書いた言葉に興奮して、やりすぎることもあるので、気をつけようと思いました。
わたしはけんかしたときに、誰かに味方してほしいとか、自分が正しいんだ、ということを示したいと思わなかったです。そういう自分が好きだなあと今振り返って思います。
わたしは言いたかったから言ったし、疲れたしつまんないし、しんどいなあ、と思ったときにやめられました。
そして、意見の食い違いを埋めるのではなくて、相手を嫌いだから話やめたいと思ったり、それを相手に伝えられたりしたのは満足しています。
けんかしても別にブログの運営上に良いことはありません。ただ、こういう罵倒があるとこういう気持ちになるんだなあと知れたことは面白かったです。
わたしはバカと言われても傷つかないし、文章が下手だと言われても、ブスと言われてもあまり気にならないなあと思いました。おちょくるのが楽しくなるのは良くないなあと思いました。弱い者いじめになってしまうなあと思います。わたしは文章上では腕力が強いから、気をつけないといけないなあと思います。
けんかして気づいたことは、ネット上では、わたしは弱者じゃないということです。むしろ強いです。それは、言葉を使えるからです。文章で自分の気持ちを書いたり、相手の不備を指摘したり、論理的に書いたりすることが普通の人よりも得意なので、気をつけないと、相手をぼこぼこにしてしまうんだと思いました。
わたしは今まで文章の腕力の強さに気づいていませんでした。
人からいやなことを言われたらいやな気持ちになるから、力一杯殴り返していたけれど、加減することも覚えようと思いました。
わたしに腕力がないように、言葉が不自由な人もいるようです。そういう人の言いたいことやかまってほしい気持ちをちょっと気にして上げる余裕を持とうと思いました。
また、言い返したくなったら、言い返すし、けんかしたくなったら、けんかすると思います。
でも、自分なりに、あまり、しつこくならないように、相手を怯えさせすぎないように、加減して接しようと思いました。
言い返してすっきりしました。それはよかったです。
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こんにちわ。
僕はケンカが好きでないというか、慣れていないので凄いな、と思います。
また、理屈か感情かどちらかに偏ってしまうと思います。バランスを取りながら言葉を紡げるのが羨ましいと思います。
理屈だけでも頭がいたくなるし、感情だけでもきゅうくつに感じるからです。
コメントありがとうございます。
遅くなって住みません。
すごいなの意味が悪くないといいのですけど。
でも、自分の思っていることを言えたのは良かったと思います。
でも、相手を傷つけたのは良くなかったと思います。
バランスがとれていると思ってくださってよかったです。怒るときに怒るのは少しは必要な気もします。
お返事ありがとうございます。
嫌味に聞こえてしまったらすみません、そんな意図はまったくないです。
怒れないのは欠点だと思うので、賞賛の意味で凄いな、という言葉を使いました。
仰るとおり怒るのは必要で、
少なくとも怒るという選択肢がないのは不自由だと、思います。
Sadie1さん
ああああ、すみません。そんなつもりじゃなかったんですよね。あああああ。
わああああ。
怒るのってある程度は場所を選んだら大事だなあと思います。選択肢があってそれを選ばないっていうのと、最初から消しているってのはちがうなって!
いえいえ、こちらこそ誤解を招くような言葉を使ってすみません…;
「凄い」って言葉は難しい、微妙な含みを持つ言葉であり、それだけ生きている日本語なので、使う時には気をつけなければいけないですね。
自分が恥ずかしかったから、そうとっちゃったのですね。。。。