精神病患者の一日

朝、八時に一度起きて、「やっぱり具合が悪いような気がする」と思って、二度寝する。
起きたら十一時前になっているので、呆然とする。呆然としているうちに「めまいがするような気がする」と思って、布団に潜り込んでもう一度眠ってしまう。
一時になると、いやいや起きて、顔を洗って着替える。
食事を作って食事をする。(←NEW)
それから、インターネットをする。
インターネットをしてから、少しだけ勉強する。
勉強をするとあっという間に仕事に行く時間になる。
仕事に行く。
帰ってきて食事をする。テレビを見る。テレビを見ることは、医師に勧められている。
ドラマなどを見て、ほかの家庭や、ほかの職業感に触れて、自分の中にある物差しを増やす。そうすることによって、自分を豊かにして、自分も悪くないと思えるようになる、とのこと。
それから、十時くらいに風呂に入る。
眠る前に何か食べる。この習慣は止めたい。
二十四時過ぎくらいに就寝する。


今日書ける文章

今日、このブログに来た人はゼロでした。

なかなかにショックです。

もっと読みやすい明るい文章を書ければいいなあ、と思います。
そうしたらもっと読んでもらえるのになあ。

共感している文章も書けたらいいし、くだけた文章も書けたらいいなあと思います。
このブログは、分析力もないですし、客観性も乏しいです。
ただ、記録のためにつけているのですが、人が読める状況にしているので、もう少し面白いことを書ければ、もっと良いなあとも思います。
でも、最初に決めた通り、今、書ける文章を書くことにしていたのだから、これで良いのです。たぶん。

今日は日曜日でした。
今日は、生活をきちんとするために、ちゃんと料理を作りました。
唐揚げ、マカロニサラダ、菜の花のおひたし、なめこと豆腐のお味噌汁。これだけなのに、二時間半もかかりました。手際が悪いですね。

先のことを考えると不安になります。
今の仕事を続けているので良いのかな。とか、将来どうなるのかな、とか。

高校数学の勉強を始めました。これで、高校生も教えることができるようになるはずです。
そうしたら、収入もあがることでしょう。

十年後のことを考えると、吐き気がするほど不安になります。
だけど、そうはいっても、今できるのは、明日ちゃんと起きること、仕事をすること、元気で一日過ごすことだけだなとも思います。
そうしたら、十年後に笑っていられるんじゃないかなと思います。


母とわたし

母と会わなくなって、少しずつ、「会わなくていい」「会いにいかない」ことを繰り返すことで、火が燃えるような激しい怒りに我を忘れることも、だんだん少なくなってきたように思います。
わたしは一度、怒りと一生ともに生きることを覚悟したのですが、あれほど激しかった怒りも、少しずつ忘れてきています。

母がしたことは、わたしの一番良いはずだった時代を奪ったことです。
友達と遊ばせず、友達の悪口を吹き込み、テレビを見させず、睡眠時間を十分与えず、趣味をさせず、常に見張り(冬でも部屋の扉を閉めることを禁止されていました)、楽しませないこと…。下着の素材、柄、種類まで決められていました。それくらい自由がなかったのです。自分で選んだ下着を履くと、赤ちゃん言葉で、ちくちくと責めるのです。

それは、異常なことでした。絶対に許されることではなく、わたしは、母を許しません。
わたしは、母に会うと、体調が悪くなり、生きていくことが難しくなります。
決意とは関係なく、わたしは母と会えば死んでしまうかもしれません。簡単に、「お母さんも心配してるんだからわかってあげれば」という人がいましたが、距離を置きました。
母に会えと言う人は、わたしに死ねと言うのも同じようなものです。

母は、妖怪のようにわたしの人生に覆いかぶさり、わたしの人生を簒奪しました。
わたしが当然得られるはずだった、経験や、自尊心を奪うことで、わたしが母から離れられないよう依存させ、支配させたのです。
そして、依存するわたしのことを辱めました。
そうやって、わたしの人生を簒奪して、彼女の人生が、より意義深いものになったかと言うと、それは全然なっていません。
本当に無駄だったと思います。

わたしは、母から離れてようやく得た健康が本当に尊いものだと感じます。
その日暮らしと言えども、仕事があり、ストレスもなく、居心地よく生きられること…。母から人生を切り離しただけで、こんなに幸せになるとは、思ってもみませんでした。今では、自分の好きな下着をつけることができます。それは、本当にすてきなことです。
自分の好きな下着を身に着けることが、こんなにも心を和らげるなんて、わたしは知りませんでした。
毎日が、発見と喜びに満ちています。
普通の人たちが、こんな風に、生活を、喜びに満ちて経験していたのかと思うと、わたしが失ってきた日々が、恐ろしく思われます。

母は、ずっとわたしを「こうしないと不幸になる」と脅し続けていましたが、母は、単に、自分からペットが離れることが許せなかっただけだと、今はわかります。

わたしは、母の分析を、今はあまりしないようにしようと思います。
それは、自分の中に、「母のことがわかる」と思う気持ちを育てる気力がないからです。


伊予かん

伊予かんが好物なので、スーパーマーケットで購入した。

何の気なしに買ったけれど、伊予かんを向いたとたん、郷愁にとらわれた。

母は、伊予かんが好物で、冬になれば伊予かんを切らしたことはなかった。わたしは何の心配もせずに、飽きるまで存分に食べ、もしくは、あまりにも好きなので節約して食べた。
わたしはおいしいものを食べさせてもらって育てられた。

香りや、酸味。瑞々しい感触。幼い頃を思い出す。平和なひとときもあったのだと。

ふいに、帰りたいと思う。

けれども、わたしは帰らない。
けっして。


教えることと感謝されること

教え子の親御さんから、感謝された。

本当に嬉しく、感動した。

「この子は、今まで、勉強と言うことでは、一度も充実感を得られたことがありません。それが、今では充実しているようです」といって、頭を下げられた。
頭を下げるのはこちらの方だと思う。

教えることで学ぶのだ、というけれど、本当に、子どもたちの、「新しいことを知りたい」という熱心さ、果敢さ、純真さには、いつも感動する。
わたしが教えている子どもたちは、授業にまったくついていけない子どもたちである。
しかし、その子たちの話を聞くと、先生方も、一生懸命教えていらっしゃることは伝わってくる。
子どもたちは、一生懸命、先生のおっしゃってることを理解したいと思っている。
尊敬もしている。
けれども、いろいろな事情があって、先生のおっしゃってることが、まったく理解できない。

それは、先生方の教え方が悪いのではなく、一度に教える人数が多すぎるのだ。
わたしは、子どもたちが、一度は耳にしたことをもう一度、それとも何度でも教え直すだけなので、最初に教える学校の先生よりもはるかに楽な仕事をしている。

だから、親御さんに感謝されるというのは、本当に望外の喜びで、毎日、子どもたちが「わかった、嬉しい」と目を輝かすことを目にし、自分の人間的ないたらなさ(先を焦ろうとしてしまうことや、自分が親にされたことをくりかえしてしまいそうになること)を反省する機会をいただき、また、子どもたちが成長する過程に立ち会わせてもらい、お金をもらい、その上で感謝されるということなので、本当に嬉しい。

思うに、学校の先生方は、そのような感謝の言葉を受ける機会が少なすぎるのではないか。
わたしは、この気持ちを誰かに分かち合いたい。わたしは幸福な仕事をしている。


精神病の薬

わたしは今日一日起きていることができた。

薬が効いていたのと、暖房の温度がちょうどよかったせいだと思う。
節約しようとすると、布団から出ることが難しくなるので、温度の設定は、気分がよく過ごせる温度の方が良いみたいだ。

わたしの精神病の薬は、こううつ剤×3、エビリファイ、セリニカくらいで、そんなに多い方じゃない。
頓服で、精神安定剤が出ている。

前の処方は、抗不安剤、精神安定剤、こううつ剤がセットで夜だけで出ていた。

今は、まんべんなく一日の気分が安定するような処方だ。

わたしは一週間交代で、そう気味なときと、鬱的なときがある。そのうえ、朝はうつ傾向にあって、夜はそう傾向にある。

こうしてブログを書くのが夜になりがちなのも、夜の方がそう気味になるからだ。

医師からは心配いらないと言われている。いずれ落ち着いていくし、夜の方が調子がいいなら、そのときに活動するのも、そんなに悪くないし、できることをやるように言われている。

生活習慣を見直すために、今日は、歯を丁寧に磨いてみた。
細かいところが汚れていて、毎日丁寧に磨かないとだめだなと思った。

病気のためかどうか、生活習慣が乱れがちになる。
とくにPTSDになると、甘いものが欲しくなる。実際、わたしは14キロほど太った。今は11キロやせた。それからなかなか落ちない。
脳のセロトニンが少なくなって、不安を紛らわせるために口を動かしたくなるのと、糖分で不安を紛らわせたいかららしい。

当然歯にも良くない。
虫歯もできた。

太ったことと、虫歯ができたことで、うつ状態にも拍車がかかった。

わたしがやせ始めたのは、入院して、薬の処方を変えてもらってからだ。

一日の気分の状態を診ながら薬を変えてもらったおかげで、かつてなく、気分が安定している。
わたしはもともと気分障害があって、友達と遊ぶ約束をするのも、次の日の気分がどうなるのかわからず、約束の予定が立たなかったのだ。
これは非常に不便で、医師からも
「約束ができないのは不便だし、社会生活を送る上でも妨げになるので、薬を使ってでも、少なくとも一週間先の予定が立つようにしましょう」と言われた。

気分障害では、どんな風になるのかと言うと、気分が悪くなって、体調が悪くなって、家の中でも這うことしかできないほどの体調の悪さになってしまうのだ。
めまいもするし、吐き気もする。
一般的なイメージだと、気分障害と言うのは、気分が変わり次第「めんどくさい」と自分勝手に人の約束を破る人、という感じだと思う。
そういう面もあるのかもしれないけれど、本当に体が動かなくなる。
体と心はつながっていると言うけれど、身にしみる。

とはいえ、わたしは薬を変えることで、ずいぶん状態が変化した。
今では、昔の具合悪さが、思い出せないくらいだ。


生きる自信と元気な人

生きる自信がない。
全然ない。

だから、ちょっとでもやりたいことがあればやる。
しかたがないからやる。

生きる自信がないと言うのは、朝起きて「ああー、今日も一日が始まってしまった…具合悪いところを探そう。そうだ、頭が痛いような気がする、もう一度寝よう…ぐうぐう…は、十時になってしまった…人間失格だ」というような日々を送っていると、自分がほとほと嫌になります。

だから、小さいことでも、何かやろうと思ったことをすぐすることが、大切なのだと思います。

わたしは、元気な人がどんな風に考えるのか、もう思い出せません。

元気な人は、どうして元気なのか、全然わからないです。

わたしは、事件にあって、人間は誰でも死ぬし、裏切られるし、誰も信じられないんだ、と思ってから、すっかり自信がなくなりました。
生きていても良いことがないような気がします。
裏切られる方が真実であって、そのことを知らずにすごしているようにみえる人たちを、信じられないように思います。

こういう風に思うのは、犯罪被害者の特徴です。


言ってることはよくわかるし、その通り…けど、大企業の正社員になるのは難しい話ですよ

はてなブログに引越して最初の記事がこのざまだよ

言ってることはわかるけど、異議申し立て。

そりゃあ、大企業に入れれば一番いい。
でも、今、大企業に入りたくても、何千倍とかそういう倍率なので入れぬ。

入れない人のことは知らねえ、ということなんだろうとわかるんだけども。

大企業に入りたかったけど、入れなかった人は常にいる。のであぶれた人は、じゃー、シューカツ頑張れば良かったじゃん、入れる人もいるんだし、とかいうと、大卒で就職率が六割くらいなので、四割の人がそもそも死んでいる上に、六割の人も大企業に入ってる人はわずか。

わたしの場合はゲームのルールがわからないまま参戦したので落選した。残念。才能がなかったのだと思う。シューカツの。
勉強が得意な人には得意な人なりの才能があるように、世の中を渡るのが上手な人には上手な人の才能があるのだと思う。
それだけのことで、わたしには才能がなかった。

それとは別に、一般論として、女の人は、そもそも大企業に入りにくい。正規労働者になれた女性が五割り切ってるんだもの。

そういう現実をふまえて「それでも大企業に入ればいい」といっても虚しい。

じゃー、どうするんだよー、って答えはないんだけども。

大企業に入れないし、組合を作る根性もないし、法律を変えられる見込みもないし、病気になる可能性は誰にでもあるし、家族を養ってなくても、稼がないといけなかったりはする。家族を頼れない人だっているだろうし。

わたしの場合は、会社を辞めるしかなかった。
けど、先のことを心配しても仕方がないと、最近思える時間がわずかでもある。
それに、アルバイトは楽しい。
正社員のときより、仕事に楽しさがある。サービス残業がないのと、怒られなくなったから。
時給通りの仕事をして、時間になったらすぐ帰る。
それだけで、人生が楽しくなった。

食べれてるかと言うと、食べれてないのだけど。
食べれていない分は家族に面倒を見てもらってる。身もふたもない。
わたしは恵まれてる。
犯罪にあったり、緊急病院も含めて、入院何度もしてたり、いろいろしてるから、恵まれてない部分もあるけど、恵まれてる部分もある。
アルバイトが結果的に楽しいのも恵まれていた。
働くことが楽しいことを知らずに生きて行く可能性もあった訳で、そういう意味では悪くないと思う。

大企業に入れる人は入った方がいいし、それで楽しかったり、食べて行けたりして、満足できたら一番いい。
でも、そうじゃなくて、その人なりに、恵まれてる部分に引け目を感じすぎたりもせず、人生にあわせて価値観を変えて生きて行くのも良いと思う。


Hobbit 傲慢なお姫様トーリン(王子)と乙女な魔法使いガンダルフ

Hobbitがあまりにもつぼに入ったので、二回観ました。

感想をオチもなくだらだら書きます。

二回目はストーリーがよくわかりました。
誰が誰だかわかりました。
人の顔と名前を覚えるのが苦手なのです。
キーリとフィーリはすぐ覚えたのですが(イケメンだから)。

一回目は、ただ「うう…すてきなおじさまがたくさんいらっしゃる…」と思っていたのですが、
しかも!戦ってる!マジかっこいいウヒョー。

「おうじたま!おうじたま!」という感じで観ていました。
馬鹿すぎる…

馬鹿ばんざい!
王子様ばんざい!

トーリンが無謀なために、何度も死地に陥る一行。
小さいせいでエルフに囲まれたとき本当に間抜けに見える一行。
頑張って威嚇しても小さい。うぅ。
プライド高いと間抜けさもひとしおですね。愛…愛が芽生えます。

誇り高い王女のように潔癖なトーリン。
そもそも旅の目的は、トーリンの「王国を取り戻す」という一新のために始まります。
はっきり言って、集めた仲間たちは「死んでくれ」と言われたのに等しい。
そこらへんのわがままさが、わたしのイメージの王子というより、「王女」という感じがします。

なんというホモソーシャル。でもいやじゃないわたしがいる!

ガンダルフが乙女だと思った理由は、
「なぜホビットを巻き込むのか」と聞かれて、
「彼がいると勇気がいるから」と答えたから。

癒し担当なのかい。

マスコットが必要な魔法使いって、日本の文脈から言うと魔法少女じゃない…。

殺伐とした男ばかりの中に一輪の癒し。

それまでも「なぜあいつを」と言われていたときも「わしが選んだのだから文句を言うな」と突っぱねていたのもなんとなく乙女っぽい。

乙女なガンダルフと、お姫様なトーリンと、素朴な娘ホビットを守る十一人のドワーフ

ガンダルフは、魔法は基本的に一種類しか使えないし、なんでも知ってる訳じゃないし、基本的は武闘派で、トロルの宝物も嬉しげに自分のものにする。すごく植民地主義っぽい。
この人たちの動力って、お金と名誉と故郷を守る気持ちと友情だから、すごーくすごーく今も時代からすると右翼!!!

でも、うっとりファンタジーに浸ってしまう。

人間は昔ファンタジー界の皆さんと交流し、お互いの世界を深めたのだ…と言ったのはミヒャエル・エンデだけど、ホビットに浸るとまさに損な気がする…