トランス女性が女性なら、女性の権利は減ります

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最初に述べておきますが、トランスジェンダーの人を批判しているというより、トランスジェンダリズム、アライ、尻馬に乗っている左翼男性を批判する文章です。

権利は衝突するものです。

衝突するというのはどちらかが間違っているとか正しいとかと関係がなく、相反するものがぶつかると、調整が必要だという意味です。

権利と人権は別のものです。

お金を貸した人と、お金を借りた人にはどちらも権利があります。お金を貸した人はお金を貸した時の約束を守ってもらう権利を持ち、借りた人にはお金を借りる権利を持ちます。逆に、お金を貸した人には、お金を貸すという義務が発生しますし、借りた人には、約束を果たす義務が発生します。こういう約束事を権利と言います。

トランス女性は女性です、というスローガンを掲げる人たちは「すでにいる人を排除するな」と言います。

しかし、そのすでにいる人たちは、グレーゾーンや、あいまいさ、例外を利用して、本来立ち入る権利のない場所に入り、既成事実を作ったから、「すでにいる」のです。

例外を暗黙裡に認めたことで、それをあしがかりにされるのならば、最初から例外を認めない、既成事実を作らせないとなります。

女性の権利が増えれば男性の権利は減ることを男性は知っている

男性が、女性差別をがんとして認めないのは、女性に権利を認めると、パイが減るからです。フェミニストによっては、女性差別を撤廃しても、男性にもメリットがあると説明します。確かにメリットはありますが、デメリットもあります。

女性に参政権を認めると、政治への男性の発言権が弱まります。明治時代のように、女性が男性の持ち物であって人権がない時は、財産はすべて男性のものでした。そのときよりも、今は、男性の権利は制限されているといえます。

しかし、それらは変えていくべきことです。それは、女性も人間だからです。女性は、生殖する性として生まれ、その体の特徴から、女性として扱われます。女性として扱われることの意味は、生まれるときには間引きの対象になり、長じるにあたっては、家事育児の担い手として期待され、教育機会を剥奪され、賃労働の場から不利益な扱いをされるということです。女性と男性の収入を比べると、大卒の女性の収入は、中卒の男性と同じくらいの金額です。

お金がないと、生きていくのが難しくなります。結婚することがセーフティネットとして機能します。しかし、それでは立場が弱いので、女性は家庭の中でよく殺されます。

まったくの自由状態で恋愛をして結婚をするわけでなく、ある取引のような形態での結婚がある、ということです。

女性は教育機会を損失している

例えば、フェミニズムやジェンダーについて研究する男性がいます。

そのポストは、彼の実力だけで得られたものでしょうか?

私が思うに、彼らにはペニスがあったため、教育機会から排除されずに済み、改姓や出産の負担でキャリアが中断することもなく、性的暴力におびえたり、異性に脅迫されたり、という機会が少なかったのではないかと思います。勉強に集中できる環境があったはずですし、アカデミアは男性中心社会です。

「単なる肉塊」に社会的意味づけをしているのは「社会」です。だから、女性も「単なる肉塊」に社会的意味づけをしますたいていは、女性を傷つけ退けるシンボルとして。

地方の大学進学率は、東京と比較して異常なほど低いです。それは、地方には賃労働する場所が限られており、また地域に密着した大学の数が少ないため、子供を大学に行かせるとなると、都会で一人暮らしをさせることが前提だからです。すべての家庭が、すべての子供に、1人暮らしをさせ、学費を払うことができるほど豊かではないのです。

地方の大学進学率の特徴としては、男女を比べると、女性の割合がやはり低いのです。それは、兄弟姉妹の中で、ただ一人を大学に行かせることができるとき、選ばれるのが長男だからです。

家族の中で、長男は、手伝いから免除されている場合が多く、余暇が自由に取れます。

また、地方の女子高校では、カリキュラムに、物理がない学校が多くあります。化学もない場合があります。そして、中学生の時点で、その事実を知っている子供は少ないのです。

だから、中学生の時点で、事実上、多くの女の子たちは、理系の進学の道を断たれます。この事実を、大学で研究している男性たちは、どのくらい知っているだろうか、と思うと、ひやっとした気持ちになります。大学で働いていれば、周りには当然大学生が多いでしょう。そうすると、大学生が「普通」の状況で、そこにたどり着けなかった子供たちの背景をリアルに想像するのは難しいのかもしれません。

「単なる肉塊」のない私たち

「単なる肉塊」のない私たちは、その「肉」がないばかりに、様々なあざけりと、暴力、機会の喪失にさらされ、それを生まれたときからシャワーのように浴びて育ちます。

女性差別に最も詳しいのは、女の体を持つ人々です。女の体を持つ人々を女性と呼びます。それ以外は男性です。

男性にはバリエーションがあります。心身に違和感を持つ人々が、苦しむのは、体と感覚がかみ合わないためです。あえて言えば、男から女に変化するトランスセクシャルが苦しむのは、男性の体を持つからです。

私たちは、女性の苦しみに詳しいです。そして、トランスセクシャルは、トランスセクシャルの苦しみと、元の体、そしてそれが社会的に意味づけられた苦しみについて、詳しいでしょう。

男性は、(女性を差し置いて)女性差別に詳しくなることができない

では、男性の研究者は、女性差別の何に詳しいでしょうか。当事者以上に詳しくなることができるのでしょうか。

構造についても、身近な経験から洞察する力は、当事者のほうが強いでしょう。わたしが、どんなに頑張っても、トランスジェンダーについて、トランスジェンダー当事者よりも詳しくなることがないように。

白人と黒人を使って、差別について説明するのは、今まで避けてきましたが、今はします。

例えば、白人が、黒人差別を研究し、黒人に向かって、トランス黒人(つまり、黒人になりたがっている白人)を受け入れるべきだ、そうでなければ黒人差別への対抗が後退するのだ、と言えば、どれだけグロテスクだか、わかってもらえるでしょうか。

望んでではなくても、差別する側の体を持つ人々が、差別される側に指図するのはおかしいのです。そして、差別とは何かを、説明するのも傲慢です。

差別していると、女性は糾弾されています。

しかし、それが差別だということになるには、誰が、誰に、どんな言動を取れば、どのような理由で差別になるのか、という理屈がなくてはなりません。そうでなければ、ただの暴言だからです。

世間に、社会的合意がない場合なら、それは説明されなくてはなりません。しかし、トランスジェンダーが「誰(どんな集団)」を指しており、「どんなこと」が差別に当たるのかについて、調べることは難しい状況です。

男性と女性のパイの奪い合い

パイの話に戻せば、男性がフェミニズムの研究者である場合、それは、もともと女性のポストだったはずです。白人が、アジア人の役を奪えば、仕事を奪ったと非難されるのと同じように、女性が就くべきポジションに、男性がいれば、それは非難されるべきです。

このとき、この男性研究者には権利があります。そして、女性たちにも権利があります。男性研究者を糾弾する権利です。そして、これは衝突します。衝突した結果、(様々な条件を無視して仮定すると)男性が仕事を失えば、それは、男性の権利が減った、ともいえるでしょう。逆に、女性の糾弾がうまくいかなければ、本来期待できた女性の社会的進出が阻まれます。

女装男性が女性と認められてしまったら

トランスジェンダーには、女装男性からトランスセクシュアルの人々まで含まれます。

トランスセクシャルの人々は、条件さえ満たせば、戸籍を変えられるので、法律的に性別を変えられます。

しかし、それ以外のトランスジェンダーは、法律上、性別を変えることができません。

社会は、法律や慣習、文化、などによって運営されているので、社会が混乱するようなことを防ぐために、よくよく話し合って、法律や慣習を変えるという段階を踏むべきです。社会で人間を使って実験をするのは、人道的に許されないでしょう。

けれど、「男」の体を持っていながら、「女」になれる世の中をトランスジェンダリズムは目指しています。(もちろん、逆もあります)

すべての意味でのトランスジェンダーが、法律的にも「女性」となれば、それは、医療、労働、福祉、など、すべての公共の場で女性とまったく同じように行動できるようになります。それが、法律的にも性別を変えるという意味です。

もしそうなれば、差をつけることは、それこそ差別になるので、できません。

そうしたら、具体的には、スポーツの場で、男性がトランス女性として参加し、勝利しているということが実際に起きています。また、更衣室で、男性の体のトランス女性がいて、女性が立ち去らざるを得なかったような事例もあるようです。

また、雇用について考えてみます。女性とトランス女性の二人がいた場合、トランス女性の体の変え方の度合いが低ければ、後者を採用するでしょう。今の日本では、明らかに、すべての場面で男性のほうが選ばれやすいです。公平ではありません。男性のほうが、労働の場では強いのです。

トランス女性が法的にも女性になったと仮定すると、女性を採用すれば、見た目上、女性をたくさん雇用している会社になります。しかしその実、雇用しているのは男性です。

もし、そうなったら、例えば、男女比を調べる統計の意味がなくなります。

今は、性犯罪を起こすのはほぼ男性ですが、彼らが女装をして性犯罪を起こし、自分は女性だと主張すれば、数字の取り方が変わります。また、刑務所も女性刑務所に送られた事例が海外にすでに存在し、起きてはいけないことが起きました。

権利は減るのです。

性的羞恥心による忌避は、守られるべき権利だ

女性は、異性に体を見られること、触られることを望みません。それは、合意がなければ、尊厳を損なわれる行為だからです。性的羞恥心は、尊重されるべきです。それは権利です。

性的羞恥心は、理屈ではありません。そんなものは我慢しろという人もいるでしょうが、それこそ、心の自由です。

しかし、女性の定義や領域が変わってしまえば、女性から見て男性だと認識できる人間に、意図せず体を見られる可能性があります。

それは、未然に防がないといけません。起きてからでは遅いのです。男性にはわからないかもしれませんが、女性にとって「男性器」を見ること、また男性に個人的なことを見られるのは、それ自体が被害です。怪しい人がいるから通報するのでは、遅いのです。また、トランス女性の概念があれば、「ためらわず」に助けを呼ぶことが難しくなり、被害が甚大になることが予想できます。

権利は減らない、被害は増えないと「思う」では困る

トランス女性を「女性」と認めても、権利は減らないと「思う」と述べた男性がいますが、「思う」では困るのです。どういう風に減らないのか、もし、減った場合どのように責任が取れるのか、はっきりさせてほしいのです。そして、そのうえでわたしはノーを言いたいです。それは、責任を取れば、被害を受けた人の苦しみがなくなるわけではないのです。

トランスジェンダーの範囲

GIDが診断された人数は、2007年までで、7117人だそうです。

トランスジェンダーと呼ばれている人たちの中で、トランスセクシュアルというのは、さらに少数です。

国政調査で、異性装からトランスセクシュアルまで含んだ、トランスジェンダーの数を調べる項目はないので、トランスジェンダー自体の人数はわかりませんでした。

しかし、ある女装愛好家によると、女装愛好家は70万人いるという人もいます。トランスジェンダーは、異性装も含みますから、この説を取れば、トランスセクシュアルの割合は非常に小さいとわかります。

トランスセクシュアルの人たちは、静かに暮らすことを望んでいるそうです。トランスジェンダーとして、声をあげている人たちは、トランスセクシュアルとは別の人なのではないでしょうか。

トランスセクシュアルを除いた、トランスジェンダーは、異性装、手術は望まない(ホルモン治療はする)人々です。

今回は男の体から移行する人々の話をします。

本来、男性から性器を切除しても、それは性器を切除した男性です。

しかし、トランスセクシュアルの人たちの、粘り強い運動によって、社会は、彼らを「彼女たち」と認識するようになりました。彼女たちが、女性に加害をしない、ということを信じられるようになったからです。男性の言う「単なる肉塊」を取り去る、ということに、信頼を寄せたのです。

トランス女性は、男性問題

Erinさんがいうように、男性には女性の専用スペースに、そもそも入る権利がありません。だから、そういう意味では、トランス女性と、女性の権利の衝突ですらないのです。

男性の体をした人たちは、男性のバリエーションです。男性が受け入れるべきです。トランスジェンダーの人々が、安心して、男性のスペースに入れないのなら、それを工夫するべきです。女性が無理に認識を変える余裕はありません。女性には、渡すパイがもともとないのです。

男性には余力があるはずです。余力がないとしても、同じ体を持つ人間として、分かり合う努力ができるはずです。

これは、男性問題なのです。男性は、女性に指図するのは今すぐやめるべきです。

なぜなら、男性がまったく性犯罪をしないのならば、女性は、トイレまでなら共有することを選べるでしょう。それでも、身体的な差や、性的羞恥心はなくせないので、雇用や、労働、介護、福祉、医療、運動の場では、分ける必要があります。

「性犯罪をなくせない状態を維持する」ことと、「性犯罪を怖がるのをやめろ」と女性に言うこととを、男性は両立しています。どちらも、男性が行っています。やめることができるのは男性だけです。

それは、止めることができるはずです。性犯罪を起こすのも、性犯罪を怖がるなと言っているのも、どちらも男性なのですから。女性が、男性に対して、抑止力を期待するのは、それらを男性が引き起こしているからです。また、肉体的な力の不均衡があるからです。

女性にとって、犯罪も、犯罪を恐れることも、逃れることができないものです。なんとか「防ぐ」種類のものです。

しかし「やめる」ことよりも「防ぐ」ことのほうが、はるかに難しいことを、誰でもわかるはずです。しかし、男性たちは、難しいことを女性に求める。

それは、男性の身勝手を示しています。トランス女性が女性になれば、男性の出入りできる領域が増えます。文化面でも。トランスジェンダーとは、異性の文化に越境することです。つまり、領域が増えます。男性の権利が増えます。

トランス女性は、男性の体を持ちます。トランス女性への差別をやめろ、というのは、「男性差別をやめろ」という意味になります。それは、グロテスクな状況です。

男性が、自分たちのパイを何一つ減らさずに、いい人の顔をすることができるのが、トランス女性は女性です、というイデオロギーなのです。

c71の著書

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投稿者: c71

c71の一日 フェミニスト、自閉症スペクトラム、双極性障害(躁鬱)、性暴力サバイバー 最近はフェミニズムの記事が多いです

「トランス女性が女性なら、女性の権利は減ります」への2件のフィードバック

  1. どうしてトランス女性の性的羞恥心は尊重されなくてもよいのでしょうか?
    男性トイレに見るからに女性の格好をしたトランス女性が入ったら、その女性は性的羞恥心を持つ方が多いと思います。

    1. されなくていい、とかではなくて、わたしの立場からわたしの権利の話をしてるんです。
      あなたはなんの立場でなんの権利の話をしてるのか考えたほうがいいでしょうね。

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