明け方の時間


眠れなくても、一晩横になることができた。

それでも、やはり、吐き気がして、胃の中のものを戻してしまった。
それでも、わたしは、なんとなく幸福な気持ちでいた。

昨日は完璧な土曜日で、わたしは一週間の中で一番土曜日が好きだ。
明日は日曜日で、だから、土曜日には焦らなくて済む。
夕暮れ近くなった街には、にこにこした人たちが、ゆっくりと歩いている。
若い人、老夫婦が同じ速度で歩き、中年の男性が肩を寄せ合って、どこのお店に入るか検討している。
できるだけおしゃれをして、きれいな色のシャツを着て、帽子をかぶる。
お茶をしたり、買い物をしたり、本を買ったり、服を見たりしている。
ただ、歩くだけで楽しい、小さな夏祭りがあって、小さな子供が浴衣を着ている。
知らない人同士で話をする。

そういう夕方に、カレーを食べて、かき氷を食べて、テラスでお茶をした。
きれいな服を見て、あれがほしいなと言ったり、こういうのがきれい、と言ったりしながら、パートナーと手をつないで歩いた。

幸福すぎて、眠れず、そのあと体調が悪化して、やっぱり眠れなかった。

朝が来て、気晴らしにシャワーを浴び、ヨガをしようとしたが、おなかが張っていて、苦しくてできなかった。
あと一か月で、わたしの世界に赤ちゃんが来る。
ちいさいにゃー、とか、かわいにゃー、と呼んでいて、おなかにいるだけでかわいい。
生まれたら、わたしの外に出る、親離れだ、もう、独り立ちなのだ、という風にも思う。

今は、わたしの中にいるのに、外に出て、くっきり分かれる。おなかの中にいても、わたしの思い通りにはならない。

紅茶を入れると、時間がゆっくり流れる。
焦って、雑にならない。
ポットで入れると、なぜか、パックでぱちゃぱちゃ入れて飲むのと、違う時間の流れ方をする。
きれいな器に入れると、きれいな色が見える。

どんな器でも口に入れば同じなのに、きれいな器だと、なぜだか幸せがこみ上げる。使い慣れた、見慣れた、いつもの器でも。

出かけるときに、ネックレスを選ぶ時間、化粧をどんなふうにするか考える時間、爪の色や、ブレスレットを選ぶ時間、そういうものが、わたしを作る。

みじめな過去は亡霊よりももっと具体的にしつこいけれど、でも、みじめさは、きれいなものに負けてしまう。

間違ったことを、はねのけますようにと、願いながら、わたしは、装飾品を選ぶ。
着心地の良くて、自分がきれいに見える服を選ぶ。
中年になると、こういう服はダメだとか、肌を出すなとか、言われるけれど、わたしは、自分を好きになれる格好だったらそれでいい。
そういう戦いは善き戦いだから。
そういう風に、戦うことが、生きることだと思う。
おいしい紅茶を、きれいな器で、ゆっくり冷ましながら飲むことも。

c71の著書

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