病を得ながら働くということ


わたしの主治医の先輩の本を読んだ。
ツイッターでも紹介されていた。
心を打つエッセイ集だった。

わたしの主治医は、ほとんど世間話をしている。急性のときには、心の話が多かったが、今は、わたしの落ち着いているので、ほかの話をする。
主治医が自分の話をすることも多い。それで、わたしはなんとなく気が済む。
わたしが話のを待ってくれていると感じるからだ。

わたしは、六年前に退院してから、三か月後には働き始めた。
それは、社会との接点を失わないようにするために、勧められたせいだ。
わたしは病臥している間も、大学に行ったり、就職活動をしたりしていた。それができたのは、常に主治医に励まされていたおかげだ。

わたしよりも、おそらく軽い人でも、働くことが難しい場合があるようだ。
わたしが働けるのは、たぶん、主治医の影響が大きい。
先ほど紹介した本では、いかに、当事者や家族が、社会との接点をつなぐかによって、変わるということが示唆されている。保健師さんは、中でも大きな役割を占めている。

精神障害というものは、社会や、家庭、成育歴、どのようなことが起きたのかが、とても予後のために大切になる。
因子があったから、というよりも、どうして、その因子の引き金がひかれたのか、そして、そのあとどのようにしていくかが、わたしの治療の場合には注目された。

ストレス源である、原家族とはわたしの決断で離れることにした。ストレスの多い仕事は、やめることにした。その仕事も、五年は続けた。
人生は九十年、三年やったら、たいていのことの専門家になれる、とわたしは思っているので、あと、二十項目の専門家にはなれると考えている。

本来、自閉スペクトラム症の人間は、対人関係が苦手だと考えられている。しかし、わたしの場合は、人前で話すこと、勉強すること、一定の時間内で役割が限定されてさえいれば、それを演じることは苦痛ではないことから、教える仕事をしている。
男性が苦手なので、日中の仕事や正社員の仕事はできない。消極的に、塾業界に身を置くことになった。

ブラックバイトの代表と言われる業界だけあって、働きやすいとはとても言えないが、短い時間で、さっと働く、という部分だけはあっていて、続けることができた。
多数の中では、うまく振る舞えないが、一対一なら、なんとかなったのも、大きな要因だ。
おかげで、社会的な孤独を味わっても、そのつらさの分だけ、手を伸ばすことができるようになった。わたしにとって、さみしさは、行動するための原動力だ。

働きに行かなければ、話す相手もいない。金もないから、遊ぶこともできない。仕事があれば、外に出るから、一定の筋力が残る。社会と縁がない時期が続くと、自信がなくなり、外に出るハードルが高くなってしまう。
なにもかも用意された環境では、気力が弱ってしまう。もちろん、弱り切っているときには、入院することで、命を長らえることも必要だ。でも、その段階が終われば、ある程度のストレスの中で、やりくりすることが、生きる意欲を増す。

世の中の役に立つから生きていてもいいとか、悪いとか、そういう議論には全く興味がない。
人権は、すべての人間にある。すべての人間が生きるための権利を持っている。

それとは、別に、世の中の役に立つ技能や能力を持っていると、仕事に就きやすいから有利だ。

仕事に就けば、人間と会話することもある。買い物にも行ける。小さな成功体験が、行動範囲を広げてきた。

病を得ながら働くことはたいへんだ。かといって、カミングアウトしても、かえって、いじめられることもある。
前職は、いじめに遭ったためにやめることになった。
でも、嫌になったらやめることができる。
やらなきゃ、と思えば、自分を追い詰める。

そうやって、じりじり生きていくと、病気に慣れる。慣れたとしかいいようがない。あきらめている。仕方がないと。
でも、そのあきらめが、最も有用で、それだから、働いていられる。

c71の著書

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