ハラスメントは、ハラスメントなんかしないと思っている人がする


ハラスメントとは、自分の物語に他人を巻き込むことだ。

今していることは、もしかしたら、ハラスメントじゃないか、と疑問を持つ人は、ハラスメントをしていない。

ハラスメントをする人は、いいことをしていると信じている。

「相手のために親身になって、こんなに心を砕いて、粉骨砕身しているのに、相手は非情で受け入れてくれない」と思っている。

選択肢を与えて、それを自ら選択したのだから、その責任は自分で取るべきだ、と迫るのもハラスメントだ。意思決定には、不利益な取り扱いを受けないこと、撤回できることが前提として必要だ。

虐待されている子供に、「通報していいですか」と聞くことは虐待の上塗りである。それは、選択させることを迫るからだ。選択させると、選択の結果が、子供に帰する。子供が自ら選んでそうなったことになってしまう。それは酷だ。

DVされている人は、「逃げればいいじゃない」と言われる。

でも、DVされている人はマインドコントロールされているから逃げられない。

被害者は七回逃げる。

これは、六回は戻ってしまう、ということだ。

私の経験からいうと、戻ってしまうのは、まず、加害者の近くにいると安心できるからである。なぜ安心するか。

DV被害者がなぜ逃げられないのか

DVされるということは、自分の持っていた価値観や生き方、生活や、人格を破壊されるということである。

経験や人格を否定されて、破壊された人間は、とても不安定になる。DVされている間は、その不安定さから逃げられる。DV加害者の持つ価値観が支配するので、安心する。無価値になったと感じた人は、何も判断できなくなる。加害者は、判断する。だから、何とか生きていけるという感覚になる。でも、その間ずっと苦しい。

ハラッサーは、人の価値観を壊す。それは、善意でされることがある。「教育」「しつけ」「お前のためを思って言ってやっている」という言葉はよく出てくる。

ハラスメントされると、今まで正しいと信じていたことがバラバラに壊れてしまう。一回でもされると、無防備になる。

ハラスメント加害者は、強い物語を生きている

ハラッサーは、確固たる、自分の物語を生きている。

周囲の人は、ハラッサーにとって、単なる登場人物であり、駒である。だから、自分の優先順位が一番大事で、それがほかの人間にも自明だと信じている。この信じる力がとても強いので、現実をゆがめてしまう。相手にも事情があるということが理解できない。だから、その物語に巻き込まれた人は、その物語を思わず支えてしまう。そして、洗脳され、ハラッサーの物語の一部に取り込まれてしまう。物語の駒に過ぎないので、被害者の自我は邪魔になる。だから、物語の必然性をもって、被害者の自我は破壊される。

自分中心に、世界をゆがめる力が強い

ハラッサーは、被害者の価値観を壊し、自分の価値観で上書きする。被害者は、上書きされた価値観でもないよりもましなので、加害者から離れられなくなる。一回白紙になった価値観を再構築するのは容易なことじゃない。生まれ直す以上の苦しみがある。自分が愚かで無価値で意味がないと信じ込まされたことを、一つ一つ否定しなくてはならない。そして、そのたびに、ハラッサーの声、言葉を思い出す。そして、ハラッサーと何度も共に生きることになる。もし、離れられたとしても、壊れた人格を再構築し終えるまでは、心のどこかにハラッサーがいて、そいつが、お前は無価値だと断罪するのだ。これは苦しい。

被害者はハラッサーの人生に詳しい

ハラッサーは物語性が強い。

だから、被害者は、加害者の人生のあらすじが言える。加害者の苦労話に詳しい。自分の人生よりも雄弁に語ることができる。

その詳細さが、加害者が被害者の人生を乗っ取ったことの証でもある。

聞かされ続けていた被害者は、加害者を背負って生きている。

それはイタコ状態だ。何を考えるにしても、加害者の価値観で考え行動するから、ハラッサーから離れていても、ハラッサーの言動をトレースしたような行動になってしまう。

ハラスメント加害者を背中に背負っているような状態だ。ハラッサーは背後霊だ。そして、被害者をリモートコントロールする。

ハラスメントの被害者は、自分のことを被害者だと認識できない。加害者がすることは自分のためを思ってしていることだと思っている。ハラスメント加害者が、「お前のためを思って言っているんだ」というからだ。世界を壊された人は、ある意味で、素直で無防備なので、言葉をそのままうのみにしてしまう。

そして、ハラスメント加害者が自分のためにしてくれていることはいいことなのに、自分が至らないばかりに、期待に応えられていないと考えてしまう。だから、被害者は、いつも申し訳なく思っている。

ハラッサーは、被害者に加害者を愛しているのだと信じ込ませる。また、加害者は、被害者を愛しているからと言って、ハラスメントをする。

被害者は、情を刺激され、囚われて、支配され、逃げ出すことができず、自分を責め続ける。

逃げたいと思う自分は冷酷なのだ、と信じ込まされている

逃げられない自分が悪い、その一方で、逃げたいと思う自分は冷たく残酷だ、という二種類の自責の念によって、心がびりびりに破れてしまう。ダブルバインドに引き裂かれている。

そして、自分の人生を奪われたことをむなしく思う。

自分の人生は空虚だ。そう思うと空恐ろしくなる。でも、時間は返ってこない。自分の人生が空白なのは、自分が無能で、最低で、くずだからだ、と悲しくなる。

そうした状況を作り上げたハラッサーは、その状況を利用して、さらに支配を強める。

人生を失った被害者

自分の物語を失った被害者は、寄る辺がない。

被害者も、被害に遭うまでは、世界は「優しくて、話が通じ、理屈が通り、裏切られない」者だと信じていた。でも、ハラスメントによって、世界への信頼が壊れてしまう。

だから、ハラッサー以外の人を、容易に信じられなくなる。ハラッサーは、自分こそ信じるべきだと常に言う。普通の人は、「自分を信じろ」とは言わない。それが誠意のある事なのだけど、被害者にとっては心もとない。世界を壊された人は、断言する人に弱い。事情を知らない人には、それは、支配を求めているようにも見える。

だから、被害者はハラスメントを受け続ける。

でも、本当は支配を求めてなんかいない。人格を破壊されたので、逃げ方が分からなくなっているだけだ。ただ、支配を求めているようにも見えるので、あきれて離れてしまう人も多く、そして、被害者は孤立を深める。

また、一回被害に遭って、世界が壊されてしまうと、それをかぎつけられて、新たな加害者につかまってしまう。弱いとかぎつけられてターゲットにされる。

価値観がぐらぐらしている人は、だれが見ても危なっかしい。

ハラッサーはそうした人を見つけるのがとてもうまい。だから、DV被害者は同じ目に遭い続ける。

ハラスメントの恐ろしいところは、それが善意で行われているところだ。

「危なっかしい人だから、支えてあげよう」とハラスメント加害者は思っている。

回復のためにできること

一番は、ハラッサーから物理的な距離を取り続けることである。そして、自分の人生を生きなおすこと。恨み、怒ること。

洗脳されていても、恨みや怒りの力はあるはずだ。その怒りの力が、人生を歩む最初の原動力となる。怒りは、自他を分けるくびきだ。

その次に、自分の人生がどれだけ失われたか、落ち込む時期がある。後ろを振り返って、振り返ることによって今という時間をさらに失っていく期間。

その時に、自分とは何かをまた考える。そうすることで、自分は何か、再構築することができる。

最後に、自分の人生を自分の足で生き始める。ハラスメント被害者は、支配されていたから、自分の足であることを忘れている。それが恐ろしい、危険な行為だと信じさせられることも洗脳の一部だからだ。

だから最初は、恐ろしさで、足がすくみ、歩き方も思い出せないかもしれない。でも、徐々に、お金のために働くとか、そういったことで、世界との接点が生まれて、新しい世界をつなぎとめていく点ができていく。その点が面に変わり、再構築され始めたとき、「世界」を再び信じられるようになる。自分は確かにいて、周りからはこう見えていて、自分はこういう人でこういうことを愛していて、何を好きか思い出す。

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