千田先生の「発達障害発言」関連についての考えたこと

ツイートを読んでからずっと苦しかった。
千田先生の言葉で、わたしは、また自分の頭がおかしいんじゃないかと思った。
わたしは、文化の外にいて、文化摩擦を起こす異物で、理解していないうちに、自覚していないうちに、人にモラハラをして傷つけているのかと思った。

でも、やっぱり、そうじゃないから、同じように苦しんでいる人、主に、自分のために書こうと思う。


研究者がこういう風に言うと、ただでさえ、話がうまく進まないとき「アスペ」とののしられる現状に、裏付けがされてしまう。
多数者、マジョリティに合わせろ、というのは、とても乱暴だ。
端的に言って差別だ。


わたしのパートナーは、前の結婚の時に、「アスペ野郎にカサンドラ症候群になるまで追い詰められた」とののしられていた。カサンドラ症候群とされている人たちのパートナーが、全員発達障害だとも思わない。
定型発達の人が、ただ単に、くずなモラハラ野郎なだけなのに、「発達障害」ということにされている例はあるはずだ。
多いんじゃないかとも思う。


こういうことをするのは、ASDの特徴ではない。
わたしも、パートナーも、自分の理論を押し付けたりはしない。どちらかというと、自分が間違っていると思って、混乱してしまう。
そして、壊れて病気になる。


ストーカー行為をするのも、モラハラをするのも、発達障害の男性がするとは限らないけれど、これを読むと、わたしには、ストーカー、モラハラは発達障害の特徴と結びついていると読めてしまった。
だから、とても苦しい。


この部分は、本当に読んでいてしんどかった。
これは、わたしの読解が間違っていなかったら、千田先生が話したがっていないのに、話そうとしている、「相手が話したがっていない時には対話が成り立たない」という暗黙の了解を理解できていない、ということらしいのだけど、わたしの解釈だと、「差別に対する抗議」に対して、それを援用してしまえば、抗議自体が成り立たないと思う。
そして、その抗議の仕方を「発達障害だから」不適切、だという風にしてしまえば、わたしたちは口をふさがれてしまう。

発達障害はこうだ、という偏見に抗議したいのに、発達障害だからコミュニケーションがおかしい、よって、この対話は無効だ、とされてしまうなら。

大多数に合わせるほうがお得なら、あらゆる差別はそうだろう。
千田先生は、「家庭内では、発達障害の夫のほうが力を持つから、一般社会でのマイノリティ性は関係がない」というけれど、それは必ずしもそうじゃない。
定型発達の人と、自閉症の人が密室にいたとき、自閉症を追い詰めるのはたやすい。
自己コントロールを失わせるだけで、一人の時間を奪うだけで、感覚花瓶をないことにして扱うだけで、わたしたちは容易に狂う。


これも、発達障害は関係なく、ただ思いやりのないモラハラ野郎なんじゃないかと思う。
そのモラハラ野郎が、本当に発達障害なんだろうか?
発達障害で、なおかつ、心の優しい人はたくさんいる。例外がたくさんある以上、このような言い回しは避けてほしい。
なぜなら、差別を助長するから。

アスペルガーあるある、と書いてあるけれど、わたしは、アスペルガーにこういう特徴があると、寡聞にも知らない。
聞いたことがない。本当にこれはアスペルガー(ASD)の特徴なの?

これは、「優れているところがあるなら、生存を認めてやろう」ではないのかしら。
優れたところがなくても、生存は認められなくてはならない。

そして、たいていの発達障碍者は言語的弱者だと思う。
(わたしは言語的には強いけれど、支配されやすいので、家庭内では、言い負かされ、気持ちを踏みにじられる)
文化摩擦については、わたしも本当に疲れている。

今、現在、千田先生のツイッターというコミュニケーションによる、文化摩擦に消耗している。言語的強者である千田先生に、弱らされている。
じゃあ、これは攻撃なんだろうか……。揚げ足を取るつもりではなくて、これが、本心ならば、たいていの人は、千田先生よりも言葉がうまくないので、千田先生が、こうした偏見を助長する発言をすることは、マイノリティに対する攻撃になるわけです。


時と場合によるけれど、この場合、差別的な意図にとれる発言に、回答しないのはそっちのほうがおかしいと思う。
そして、それって変ですよ、と言語化することがそんなにもたいへんなら、わたしたちが定型に合わせることがどれだけ大変かわかってほしい。
裏を返せば、「それって変ですよ」と言語化する以上のことをわたしたちは常にしているので。


これは、いつも、自分の気持ちを踏みにじられ続けてきたから、相手を説得するために、使う場合も多い。
少なくともわたしの場合はそう。
「心がない」と言われて育ったから、「それはいやだ」で済む話を「それはいやだ」だけで伝わると思えないから、いろいろな権威を持ち出さざるを得ない。

ただでさえ、アスペと言われる。
そして、反論すると「アスペだから空気読まずに反論する」と言われる(丁寧に書かれていますが、そういう意味にとれました)。

定型に合わせたほうが得と言われても「それって変ですよ」と千田先生が言うことがたいへんなように、それ以上にそれが難しいから障害です。
そして、ずっと定型に合わせようとして、二次障害になった人、命を落とした人がたくさんいます。
わたしもその一人で、双極性障害をはじめとして、適応障害、パニック障害の治療を今も受けています。
だから、簡単に「合わせたら得」と言わないでほしい。
できるのなら、障害じゃないのだから。

それに、自分が「それって変ですよ」ということで、発達障碍者に合わせることがたいへんだとわかるのなら、逆のことも想像してほしいです。


これって、本当に残酷で、わたしは気分が悪くなった。
「お前は発達障害だからわからないかもしれないが、これが常識である」というメッセージは、わたしを打ちのめした。
そして、これが通れば、わたしが抗議したいことがあっても、「発達障害だからいろいろな意見が流せない」ということになってしまい、わたしの苦痛は無効化される。

このツイートが一番悪質だと思った。

批判されたら、スペクトラムだからと言うことも。気に入らない人にラベルを付けているだけに見える。

「暗黙の了解で、対話は、相手が話してもいいと思う時だけ成立する」のなら、抗議者が語れる機会は永久に来ない。
だったら、その「暗黙の了解」の正当性を疑うことが重要だと思う。
その「暗黙の了解」は、本当に、存在するものなのか、そして、その了解によって起きている不利益がないのかどうか、考える機会になるから。

わたしがほかの人と違うのはわかります。
でも、どう違うのか、わからない。必死で、疲れきるまで、「文化」のパターンを覚え、それにそうようにしていて、疲れ切って、わたしは双極性障害になりました。
覚えれば得、という言葉を言える立場との断絶がある。大多数に合わせられれば、得なんだろう、でもできないんだよ。

知らないからやらないのではなくて、知っていても、できないから、障害なのです。
子供のころから、「違う」といじめられてきて、「わたしはほかの人と違う」といえば「違わない」「自意識過剰」と言われて、出口がなかった。
どれだけ、「普通」になろうとしても、頑張れば頑張るほど「差異」が明らかになり、「自分勝手」「自分のことしか考えていない」と言われ続けてきた。

あっさり、ものすごく違えば、「そういう人」と認識されるけれど「ちょっと違う」と攻撃対象になる。
その絶望と一緒に、ときどき死にたいと願いながら、なんとか生きているときに「大多数の文化を知っていたほうが得」「文化の違い」と言われてしまうと、本当にしんどい。削れる。ただの文化の差で、わたしは死にたいほど追い詰められているのか。文化の差なら、定型の人はわたしたちを尊重してくれるのか。

そして、「発達障碍者」と言われている人は、定型の人にとって都合の悪い行動をとっている人を「この行動や性質は発達障害だろう」という風に箱にしまって、言っている気がする。
わたしは違うといっても「自覚していないだけ」「自覚していないのが証拠」と言われてしまう。
これは、言われたことがないとわからないかもしれないけれど、本当に残酷な言い方だ。
話しても話しても、伝わらなくて、水中の中で、空気がないのに、呼吸をしようとしてあえぐような、溺れて水の中に沈んで行ってしまうような気持に似ている。

わたしからすると、「定型発達だ」ということを自覚していないのは「定型発達のほう」です。
でも、違う、おかしい、というと「おかしいと思うのがおかしい証拠、普通ではない証拠、自覚がないのが病気の証拠」といわれてしまう。
わたしの価値観は、狂っているのかとずっと悩んできた。

これを書くのは、千田先生のツイートを読んで、自分の頭が狂っているのじゃないかと、苦しんでいる仲間のためです。


例外が多いのならば、発達障害の名前をラベルとして使わないでほしい。
医学的に定義がなく、スペクトラムだから、例外もあるのなら、発達障害を出すことで、差別が助長される危険のほうが大きい。

千田先生の一連のツイートを、たぶん全部読んだのだが、「発達障害者はしゃべるな」ということに集約される。
暗黙の了解が分からない、っていうのは、そういうことだと思う。
こんなことを言われたら、抗議できない。

千田先生の言う、アスペルガーや発達障害の特徴としてあげられるもののほとんどを、わたしは聞いたこともない。
知らない。
見たこともなければ、会ったこともないです。
わたしは、ASD診断を受け、それをオープンにしているい人と交流してきたけど、本当に見たことがない。
本当にそうなのか疑問です。
(あるあるというなら、発達障害をオープンにしている人にたくさん会わないといけない。もし、「この人はそうかも」と思ったとしても、診断はとても難しく多岐にわたっていて、何時間もかかるものだから、決めつけて言うしかないけれど、その決めつけ自体が差別であり偏見だから)

たぶん、千田先生が、嫌な人にあったときに「この人はきっと発達障害なんだろうな」という納得をしてきたのだろうと思います。(それ自体が差別ですが)

ということなので、リプライを送ることはしない。

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人の性暴力被害を利用するな

菅野氏の裁判で、ゴヒエツコ氏側が出した声明がある。
わたしは、それにすごくむかついている。
菅野完氏から受けた性的被害に対して損害賠償を認めた東京地裁判決(8/8言渡) 及び同判決に関する被告側の態度についての声明

>>本件ブログには、事実でないことや被告の一方的な解釈によることがあたかも事実であるかのように多数記載されており、被告にとって都合の悪い事実には触れられておらず、非公開で行われている裁判所での和解協議の経緯が、不必要に詳細にしかも不正確に記述されている。

事実でないことが書いてあれば、具体的に書けばいい。
こっちの声明こそが、あいまいなことを書いている。
何がどう不正確か書けないのではないのか。

被告代理人が本件ブログをインターネット上に掲載したことで原告の個人情報や事実無根の情報がネット上で拡散される事態となり、原告は精神的苦痛を受け、再び体調を崩し、被害が拡大している。

個人情報や事実無根の情報というのは、具体的には、わたしのこのブログを指すのだと思うが、事実無根ではない。
ゴヒエツコ氏がした加害、つまりわたしの被害をなかったことにすることが、本当に許せない。
性暴力被害者というが、ゴヒエツコ氏が、わたしや、ほかの性暴力被害者にした行為は許されるものではない。
自分のしたわたしへの精神的暴力を棚に上げて、菅野氏は加害者だと言い募るのは、矛盾している態度だ。

くじけそうになったとき私に勇気をくれた詩織さんと同じように、この結果が、黙らされている誰かに勇気を与えられると信じたいです。

一番腹が立ったのは、この部分だ。
ゴヒエツコ氏は、どこも詩織さんと一緒じゃない。
自分で何もせず、わたしにブログ記事を書かせ、そして、わたしに加害したことを問いただせば、逃亡して、知らない顔をしたばかりか、この声明で、わたしをさらに踏みにじった。
詩織さんが、自分以外の性暴力被害者を利用したり、踏みにじったりしただろうか。
詩織さんの名前を出すことは、本質的には、わたしという性暴力被害者の経験から出た言葉を利用した行為と同じだ。
おぞましい。

原告は「言論制約のために裁判を起こして」などいない。

ゴヒエツコ氏本人は、わたしに「社会的制裁をしたい」「社会的に滅殺したい」と言ってきたけどね。

少しでも性暴力について声を上げられる社会になることを願います。

絶対におかしいだろう。
もし、そう思うのなら、わたしに菅野完氏を誹謗中傷した記事を書かせ、その責任を全部取らせて、わたしを言葉で傷つけて、対話をしなかった行為を反省しろ。わたしの口をふさいだのはゴヒエツコ、あなたじゃないか。

菅野完氏の講演会に、電話をして中止させる人たちも同様だ。
ゴヒエツコ氏の被害を利用しているんじゃないのか。
自分が遭ったわけじゃない被害を利用しているんじゃないか。
いいことをしているつもりかもしれないが、最低だ。

わたしは、性暴力に遭った。加害者のことは憎いが、だからといって、わたしが何をしても許されるとは思っていない。
まして、ゴヒエツコ氏は、わたしや、わたし以外の性暴力被害者を踏みにじって、自分だけが傷ついているような声明を出した。
こんなことは許されない。そして、彼女のために動いている人や、菅野氏の講演会を中止するために動いている人たちも同罪だ。

性暴力被害者を利用するな。

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