暇だから、一発悲しくなっとくか

抑うつ状態のときには、腹筋か散歩をしてください、と言われていました。主治医から。

わたしは言うことを聞かずに、食べたり飲んだり、するだけでなく、悲しくなっていました。

暇だと趣味みたいに、やることがないから、空虚な時間を埋めるために、一発、悲しくなっとくか、みたいな気持ちの癖が働いて、わざわざ悲しくなったり、怒ったりしてしまうのです。

悲しいことがあって悲しくなるのは、良いことだし、怒りたいときに我慢しないのは、生きていく上で大切なことです。

だけど、暇だから、悲しくなると、時間もつぶれるし、なんとなく激情に翻弄されていると、本当に大事なことから目をそらして、時間を過ぎさせることもできるし、すかっとするし、気持ちの波で忙しいような感じがするし、何かしない言い訳にもなるし、みたいな感じだったと思います。

脳の働きがおかしくなっていたから、何をしていても悲しくなったりとか、悲観的になったり、死にたくなったり、自暴自棄になったり、自分を責めたり、妄想が湧いたりしていたのも間違いなくあるのですが、習慣として悲しくなると、いろいろないやなことから逃れられると言う生きる手段みたいなものがあったと思います。

わたしの場合は、悲しさに没頭していたら、おかあさんの干渉から逃れられるとか、そういうメリットもあったと思います。映画見ているようなものです。

でも、それは、進化の上でなくなるべき習慣なので、楽しく過ごしたいなあと思うし、悲しいことを考えたくなったら、腹筋でもします。体を動かすことは希望だし、楽観的になります。
体を動かしながら、悲しいことを考えるのは難しいです。
気持ちを切り替えるために使う魔法みたいなものとして、これから腹筋とスクワットとストレッチとヨガを取り入れたいと思います。

c71の著書

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