恋人は相変わらず優しいけれど不安定になっている。
太っていてみにくいことが悲しくて、死にたい気持ちになったり、不安になったりしている。
風俗の話でけんかになった。見解の相違があって、はじめてのけんか。はじめてのけんかのきっかけが、
- 作者: 田房永子
- 出版社/メーカー: イースト・プレス
- 発売日: 2015/01/30
- メディア: 単行本(ソフトカバー)
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この本なのも不思議な感じ。
テーマは、わたしに善悪の価値観がないのか、ってこと。
わたしの善悪の価値観は、彼氏と違う。
いろいろな人がそれぞれ同じってことはないのだろうけど。
わたしは風俗で働いたことがない。働かないといけない場合には働くかもしれないと思っている。誰でもそうだと思う。どんな職業も、必要があって働くんだと思っている。働きたいと思うのも、必要があるから。楽しさに基づいていても、それは、楽しさが必要だからだと思っている。
彼氏は、働きたいと思わないってことは、やっぱり下に見てるんだよ、という。子どもに勧めたい職業じゃないでしょ?という。わたしと彼氏は、善悪の価値観が違う。
わたしは性風俗で働く可能性について考えたことがある。アトピーがあるから、難しいだろうなあと思った。でも、性風俗で働くことによって、補えることってあるんじゃないかなあ、とおぼろげに思う。
それは、フェミニズムの本を読んでいた頃、性風俗で働く人を支援する人が書いた本だったのだけど、その人は、性風俗で働く人が、働くことを通して、癒される場合があって、その過程で働くこともありうる、みたいなことを書いていた。だから、支援のつもりで無理矢理引き離すのはいい結果にならなかったことがあったと。
わたしが、適切に読めているのかわからないけれど、男の人のことで、うんと傷ついたときに、お金が介在した距離感で、サービスをして、恐ろしいと思っている男性が具体的な存在として、いて、相手が普通に喜んでくれて、普通に接してくれる経験ができたら、実は男がそれほど恐ろしくないとわかって、わたしの他人に対する信頼度が少し戻っただろうな、と思う。
お金を稼ぐことを通して、社会に対しての信頼を回復する場合がある、と日々の労働を通してわたしは思う。
それは風俗であっても風俗でなくてもいいのだけど。お金が稼げて、社会への信頼感が回復できる場所がたくさんあれば良い。
そういう意味で風俗の場合もあるってこと。
わたしは高校生の頃から、風俗について、とても関心があった。それはエッチだからとか興奮するからじゃなくて、そういう場所があることに対する興味だった。
昔からずっとある職業で、でも、わたしにはよくわからない部分がある場所。
心の底をばたばたと叩いても、わたしは風俗で働いている人を蔑んでいる気がない。そんなことを言って、本当は違うのかもしれない、という気もするんだけど、多分ないと思う。
わたしには社会的なことがよくわからないから、医者は尊敬されて、風俗嬢は、下に見られる、ということがピンと来ない。それは、わたしが適切に社会的に発達していないせいもあるんだろう。
コンビニで働くことを長年憧れて来た気持ち。それは、わたしにはない能力だと思っていたから。
コンビニをバカにしたりはしていなくて、わたしにはできないと思っていたからしなかった。
でも、できて、嬉しい気持ちになった。
コンビニは社会的には、あまり尊敬されていない仕事らしい。でも、わたしにとっては、自分にはない能力だなあと思っていたから。
わたしが風俗で働けたら、わたしは嬉しいだろうか?面接ではすごく緊張するだろう。疲れる仕事だろうなあと思う。見た目にも気をつけないといけない。今みたいに楽に稼げない、と思って、やめる。いろいろなこと、性病のことだとか、あごが疲れそうだとか、そういうことも心配だ。
わたしは結局風俗で働くことなく、塾の仕事について、生徒さんが喜んでくれることを通して、世界に対する信頼感を回復した。
だから、その手段が、なんであってもいいんだろうな、と思う。
自分で、自分の善悪の認識が薄いから、職業の善し悪しが分からないのかも、と思ったこともある。だけど、そうじゃなくて、実はわたしにも善悪の価値観はきちんと、あって、人を差別したり、職業を差別したくない、ってところに、わたしの善悪が置いてあって、それが人とは違うから、そういう風に感じたんじゃないかなと思う。だから、わたしは、自分にも善悪の価値観があるってことに自信を持ちたいと思った。
職業に良い悪い、ってなくて、その人にとって、どうなのか、だと思う。
職業として成り立たなかったら、その仕事で生活できないのだろうし。
ただ、わたしは、子どもに勉強を教えることを通して、その子どもが、自分が不本意ではない仕事に就けるように手伝いたいな、と思う。そうしたら、だれかがだれかの職業をバカにすることが減ると思うから。
選べなくて、しかたなく仕事に就くよりも、選んだ結果、仕事に就いてほしいな、と思う。そして、楽しく暮らしてほしい。誰でも。
職業に貴賤はない。
それは決まりだから。世界が成り立つための理だから。
そして、誰でも自分の好きな職業に就くことができる。
そういう世界をわたしたちは作ったし、そういう世界にわたしたちは生きているはずだ。
だから、わたしは、それを否定する人を否定する。
職業に貴賤がないというのは、大事な決まりだ。
それを否定したら、世界が成り立たなくなる。
誰もが生きていくために働く。職業に貴賤があったら、生きていて良い職業の人と、そうでない職業の人が、出てくるってことになる。貴の仕事をしている人は生きていて良くて、賎の仕事の人は好きで、賎の仕事をするような人だから何をしても良いし、何を言っても良い、ってことになってしまう。それはダメだ。どんな人も生きていて良い、ってのが人権で、人権と言うのは歴史が獲得した人類の英知だ。
善悪で人を裁いてはいけない。
わたしは裁かれたくない。
わたしが悪いことと思うのは人を傷つけること。
人を裁くことは人を傷つけること。
裁くこと自体が悪いことだと思う。
法律で、裁くことは慎重に決められている。人が人を裁くのはとても難しい。神様しか裁いてはダメだし、現世には神様がいない。
わたしを裁かないで、ってわたしは泣いた。
わたしの過去も、価値観も、全部丸ごと愛するか、そうじゃないか、保留にするか、どれかだ。
わたしは裁こうとしていないのだから。