セックスワークはわがこと、セックスワークをしていない自分に引け目を感じず話したい

セックスワークについて、ここ数日考えていたこと。

セックスワークの問題は、女性差別、女性労働問題、女性の権利、女性の健康について、密接な関係がある。
だから、セックスワークは他人事じゃなくて、わがこととして、考えたい。

彼氏とはバレンタインデー以来、五日間、毎日セックスワークの話をしている。

デリヘルを呼んだらいくらかかって、バックがいくらだから、一日に推定いくらかせげて、実働十五日になるはずだから、一ヶ月の収入がいくらになる、だから、そこまで割のいい仕事じゃないし、重労働だってこととかを話した。

(注 十五日は、生理休暇が一週間、残り三週間のうち、おそらく三日に一度は休むだろうということで、大目に試算しました)

だんだん、セックスワークの話をすることに対して、大騒ぎにならなくなって来た。
普通の、世間話として話せるようになって来た。それだけでも収穫があった。
エッチ、とか、エロい、とか、そういう台詞を彼氏が言わなくなった。それはすごいことだ。たった、数日で彼は変わったし、わたしも自己開示がすすんだ。わたしも変わった。

その成果が、性病検査に一緒に行こうって誘われたこと。
セックスワークを理解している彼氏、ってのは良いものだ。

わたしの健康を気遣ってくれるということや、わたしの話を素直に聞いてくれることが嬉しかった。

バレンタインデーには、ピンクのチューリップをくれた。
毎日それを見て幸せだな、と思う。

本心を言ってほしい、と言っていたのは、彼の偽りのない本心だ、と言うことがチューリップを見るたびにしみじみ感じる。

セックスワークの誤解を解くことは、セックス観や女性問題をわかってもらうことにつながる。
わたしが意見を言わないことは、相手を信じていないこと。わたしは彼を信じる。

わたしはここ数日を通して、セックスワーカーを尊敬も軽蔑もしていないことがはっきりとわかった。
だから、セックスワークをしていない自分に対して、引け目を感じる必要もないし、できることをしたい。

塾講師をしていない人が、わたしに引け目を感じないように、セックスワークをしていない人がセックスワーカーに引け目を感じる必要もない。

引け目は、目を曇らせる。わかることもわからなくなる。隔てを作ってしまう。
慎重になるのは必要なことだ。

わたしはセックスワークをしたことがないから、セックスワークの人を傷つけてしまうのがすごく怖い。だから、慎重ではいたい。それを引け目と錯覚してしまっていた。

田房永子さんは、すごく良い本を作ったけれど、引け目が邪魔をしてる部分がある。
隔てについて正直でいたところは賞賛したい。田房さんは賢いから、セックスワーカーを利用して本を書いたことを、本を出すことそのものが、男側の権力構造に乗っかっているということを理解しているから、それが引け目になっているんじゃないかなあと感じた。

カップルで、セックスワークについて議論する関係にある、ってことはすごく良い関係だ。セックスワークを利用しているようだけど、セックスワークには、権力構造への敏感さや、力関係や、セックス観がむき出しになる。差別心とかも。二人きりでいても男と女の間には権力差が存在するから、そのことをわたしはいつも訴えないといけない。無意識にしみ込んだ、男に譲るべきだ、って気持ちはわたしのなかにあって、それに従っていると権力を作ってしまう。意見も言えなくなるから、ゾンビになってしまう。

だから、わがままって、思われるくらいが良いんだけど、そのことを相手がわかってくれていると、わがままかもしれないけど、っていちいち断らなくても良いからすごく楽になる。

セックスワークをただの労働だと思っている男の人と付き合うことは、自分にとっても、良いことだ。
それからの関係を築きやすくなる。

それがわかるってことは、女性の働く環境が劣悪だとわかってくれていることだ。女が家事をすべきだとかそういう固定観念から自由になっている人だということと地続きな問題でもある。
女がこうあるべき、って思っている人ほど、セックスワークを過度に尊いものだとか、軽蔑するべきものだとか、思っていると思う。女を、聖女と娼婦に分ける考え方だ。

そういう考えの人は、女が家事をしたり、子育てをするのが当たり前だと思っている確率が高そうだ。そういう人と、一緒に時間を過ごすのは、きついことだ。自分を隠して、合わせて、働かないとダメだから。

わたしにはできないことが多いと彼は知ってくれている。

わたしにはできることがある。それは物事をフラットに見る、ってこと。

わたしは今まで、どこかに、セックスワーカーを否定する気持ちがあるんじゃないかと疑っていた。それは、世間が、セックスワーカーを全肯定する人なんていない、ってメッセージを出していて、それをわたしが受信していたから。

だけど、わたしはそれを良く点検したら、もともと、わたしにはそれが必要なかったと言えるなあと思った。もともと否定する気持ちはなかった。でも、否定しないといけないと思っていたから、否定してるんじゃないかと疑っていた。でも、わたしはセックスワーカーにひどいことをされたことが一度もないのだから、セックスワーカーを否定する理由もひとつもないのだった。

セックスワーカーをいやらしい、と言う人とはつきあいづらい。わたしはそういう人が苦手だ。

だいたい、いやらしいって、なんなんだ?
よくわからない。

セックスが好き、な人がいたとしても、いやらしくはない。
セックスが好きなだけだ。

セックスに関係することで働いている人は、もっといやらしくない。
お金が必要なだけだ。


桃山商事さんの言う、女体を通して会話する男性、って言うのは、いやらしいかもしれない。
何も必要がなくて、話題が必要だから、一緒におっぱいもんでいたら、時間が持つ、ってだけで、女の人のサービスを買うだけに飽き足らず、承認欲求まで満たしたいと料金外でねだるからだ。

料金を払わないのにサービスをねだるのは浅ましい。

それはいやらしい。

いやらしいのは女の人の体でもなくて、サービスでもなくて、それを買う男の人でもなくて、サービスにないのに、チョロめかそうとする人たちだ。その延長線上に、セクハラがあって、日常の性的搾取がある。

お金を払っても売っていないものを盗んでいく泥棒が一番浅ましく、いやらしい。それなのに、女のせいだ、ということになっている。

セックスワークは、それをお金でやり取りする、って仕事だ。擬似的に。可視化する。
だから、いやらしい、って言われるんだと思う。ぬれぎぬだ。

だから、セックスワークについてフラットな気持ちでいる人は、差別心が少なくて、女性のからだを搾取することも、セクハラをすることも少ない人だと思う。

ここ数日で、彼氏はすごく成長した。今まで女性差別のことなんて何も考えたことがないひとだと思うのだけど、わたしの言うことを良く理解した。がんばりましたを上げたい。
勇気を出した自分にも、頑張ったでしょうを上げたい。

c71の著書

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