今日は小さい生徒さんを教えました。
一生懸命新しいことを知って、喜んだり、わからなかったところを復習したり、するのはとても楽しかったです。
仕事で子どもとふれあうと自分の中の何かが癒される気がします。子どもたちは勉強が大好きで、とても楽しんでくれます。今日の生徒さんは、今日とても楽しかったです、と言って帰っていきました。
勉強なんて人生の役には立たないというひともいますが、楽しい、ってことだけでも役に立っています。勉強は殴らないし悪口も言わない、静かで豊かな世界です。だれかと比べたりもしてきません。
塾というのは贅沢だと思っていましたが、一緒に勉強という世界の旅をするガイド、という役割だったらよくわかる気がします。
かけ算の筆算も練習しました。数字を書くところを全部丸して、どこに数字を書けば良いか、書いて。繰り上げの数字のところには小さい丸を書きました。
そこの中に入るように、かけ算を練習しました。
一緒に、黄色いバケツという文章を読みました。一緒に冒険をしているようでわくわくしました。
児童書というのは素晴らしいですね。短い文章で、狐の子の喜びや戸惑いや焦りや愛情みたいなものをぎっしり詰め込ませ、そして狐の子が成長した姿や清々しさを表現できるのですから。
ゆっくりと音読していると、狐の子が次にどうなるんだろう??とこちらもわくわくします。生徒さんもきっとドキドキしながら読んでいたんじゃないのかなあ。冒険みたいな気がしました。
一時間、目一杯頑張って帰るときに、敬語で「今日は、とても、楽しかったです」とわざわざ区切りながら言ってくれたのはとても可愛かったです。
帰る前に言おうと思ったんだなあ。
塾に来る子どもは、みな、礼儀正しくて、自分の気持ちをきちんと伝える子が多くて、頼もしいばかりです。
新しいことを知るときには子どもはキラキラしています。
わかるように話すことができさえすれば、非常に彼らは明晰な頭脳を持っているので、相当難しいこともわかります。
きちんと話せば、小学生でも高校レベルの理科の話も理解できる場合があります。
別に、急いでするわけじゃないけれど、学校が、成長の過程に合わせたカリキュラムをしてくれるのだから(良くできていると思います)、こちらは面白さ、というところで、体系的に物事を学ぶ楽しさを伝えたいな、と思います。
だから、小学生の場合は、教科書通りじゃなくて、生物だったら生物全体の話をして、見通しをつけることで、勉強の先にはこういうことがある、ってのを見せたりしています。
(もちろん、教科書通りのことはこなした上で)
それが重荷になる生徒さんもいるので、案配もありますが、その生徒さんのペースがあるから、それを見極めた上で、少しでも興味のある分野を、伸ばしたいなと思います。点数だけじゃないと思いながらやることで、点数が伸びるとうまくいっているな、と思います。
子どもには未来があります。
その子どもたちには、ここ、間違っているよ、と指摘したり、教えるのではなくて、子どもさんが間違いを自分で発見できる人になれば良いかなと思います。これは塾で働いているから思うことですが。
親御さんはそうはいっていられないし、たいへんな仕事だと思います。
間違っていることを教えないと、何が間違っているかわからないものね。子どもは。
だけど、塾では間違っていることを教えることはしなくていいから、間違いをどうやって発見できるか、という手伝いだけに専念できます。
人は多かれ少なかれ、マナー違反だったり、ずれていたりしますが、攻撃的じゃなければ、人を見下したりいじめたりする人間じゃなかったら、多少の欠点があっても、おっけ
ーなんだよ、といつも伝えていたいです。
ささやかにでも、人生が少しでも生きやすくなる手伝いができたらなあと思っています。